ラインハルト・フェルケル《カフェ・グリーンシュタイドルにて》1896年

近代建築事始め[第6回]——ロースからホフマンへの「苛烈な攻撃」

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 前回の話の最後で私は、少し荒っぽい書き方をしてしまったように思う。ロースからホフマンへの「攻撃」、それは無論、彼の発表する論考においてのものである。とはいえ、ロースからホフマンへの攻撃が行われた舞台をいわゆる「論戦」と考えてしまうと、少し実態から離れてしまうように思う。あくまで私の知る限りにおいての話だが、ロースとホフマンの間には普通の意味での論戦、つまり異なる意見を持つ者同士が、互いに言葉でその意見を戦わせるような交流は、ほとんど存在しなかった。ロースからホフマンに直接当てた批判の言葉も存在しなければ、その逆もまたない。では、論戦のない二人の間で、どのようにしてロースはホフマンに「攻撃」したというのだろうか。

 言ってしまえば、それは「陰口」である。ロースの書く文章には時々ホフマンらしき人物が登場するが、その場合皮肉めいた調子や、揶揄したい意図が伝わるような書き方をされていることが多いのである。「ホフマンらしき人物」というのもあやふやな書き方だが、実際多くの場合、「ホフマンらしき人物」はホフマンと名指されることはない。前提知識なしではホフマンのことだとわからないケースも少なくないだろう。だが、それがホフマンのことだとわかったうえで読むと、そのすこし実物からぼかしたような人物の描き方は、プライバシーや他者の名誉への配慮といったものでなく、巧妙にして痛烈なカリカチュアライズの結果だということが分かるようになっている。

 一例として次の一節を挙げておこう。


教授!私がですね。あなた方のように乗馬や馬、皮革や馬具づくりに関してほとんど知らなかったとしたら、私にもあなたがおっしゃるところの想像力とやらを持つことが出来たでしょう[1]Adolf Loos, “Der Settlermeister”, 1903 in TRoTZDEM, Adolf Opel(hrsg.), Prachner Verlag, Wien, 1931, S. 25(アドルフ・ロース「馬具屋の親方」『にもかかわらず』加藤淳訳、鈴木了二・中谷礼仁監修、みすず書房、2015年、14頁)


 これはロースが1903年に自ら編集、発行した雑誌『他者』に掲載した「馬具屋の親方」という記事の結末に近い部分の一節である。前段では実直で腕のいい「馬具屋の親方」が登場し、そこに分離派と呼ばれる一風変わった流行が吹き荒れる。この流行は新時代にふさわしい日用品をつくることを要求し、それを聞きつけた親方は自分の作った馬具の中で一番できのいいものを選んで分離派の指導者のもとを訪れ、自分の作った馬具が新時代にふさわしいものかどうか尋ねる。尋ねられた指導者(この時点で「教授」と呼ばれている)は、「長々とした説明」の後、親方の馬具を「新時代にふさわしいものではない」と結論づける。親方は教授の発言を受けて肩を落としいったん引き下がると、仕事をつづけながら熟考を重ねるが、解決の糸口が見当たらない。そんな彼に教授は、親方には「想像力」が欠けていると告げ、翌日の再訪を促す。親方が次の日教授のもとを訪れると、教授は学生たちや教授自身が制作した馬具デザインの数々を見せてくれた。引用した台詞は、このデザインを親方が観察したうえで発せられたものである。もうおわかりのことかと思うが上に挙げた台詞を発した「馬具屋の親方」が、「教授」と呼ぶ人物こそ、ホフマンである。

 さて、読者はどのようにして、この「教授」がホフマンだとわかるだろうか。この「馬具屋の親方」には、この話が実在の人物をモデルにしたものだとは書かれていない。もちろん「分離派」という実在の団体名が出てくるので、単なるたとえ話ではなさそうだということは察知できるだろう。しかし、分離派に対するロースの批判的意図は伝わるものの、分離派の中で具体的に誰かを特に標的としていることは容易には察せられない。

 ロースとしては、それだけでも良かったはずである。文章を書いたものとして自分の言いたいことを理解してもらえれば、それは十分な成果と言える。実際本文では、最初に馬具屋の親方が「教授」に声をかけた時「分離派の指導者たちはすぐに大学教授に納まる者が多かった」[2]Ibid., S.24(同訳書、13頁)と注釈をつけることで、分離派の指導者たちが(ロースから見れば)容易に大学の教授職に就くことが出来ている現状を指摘すると同時に、この「教授」が特定の個人を指すという読解をそれとなく遠ざけているように思われる。少なくとも、「教授」を名指しはしていない。つまり、フラットにこの文章を読むだけでは、この「教授」がホフマンのことを指すとはわからない。私は、例外的にホフマンが名指しされている他のいくつかの論考や、手持ちの資料から知りえた彼の人間関係、先行する研究の中での描写等を考え合わせて「馬具屋の親方」に出てくる「教授」は、ホフマンのことを指すと考えているが、絶対にそれ以外の読みが成り立たないわけではない。ロースがそれを明言していない以上、違う誰かを指す可能性も考えられる。

 だが、当時のウィーンにいてロースに近しい人物、ロース近辺の人間関係や彼の性格、他者への感情を知っている人は、より多くを自然と「勘ぐる」ことになる。その人は、ロースの近辺にいるロースが批判の矛先を向けそうな人で教授職に就いているのはヨーゼフ・ホフマンであると知っている。とすれば、この「教授」はホフマンのことを指しているのだろうと勘ぐることが出来る。そして、馬具屋の親方の台詞から、「教授」であるホフマンは、自分が専門家面して先導する対象のものについて、材料の特性も用途の要求する形態もろくに知らない肩書だけの存在としてあてこすられているということもわかるのである。

 この嘲弄がある種老獪なのは、ロースはホフマンを名指しで罵倒してはいないため、この個人攻撃が成立するのは読者による過剰な読み込みの結果であり、文章外の知識を用いてロースの文章に対して「勘繰り」を入れ込んだ読者は、文意をつかんだ時点で著者との共犯関係に置かれてしまうということである。しかもこれは表向きホフマンに向けたものではないので、当のホフマンには反論の機会も与えられない。「馬具屋の親方」を自分に向けた誹謗中傷だと抗議すれば、文中で語られる「教授」は自分のことだと、ホフマン自らが認めることになってしまうからである。公論の場としての雑誌に掲載された論考上で公然と繰り広げられる「陰口」、これを取り上げて私は「苛烈な攻撃」と呼んだわけだが、「陰湿な」と呼ぶ方が適切だったかもしれないと少し思う。

 だが、呼び方の如何はともかくとして、ロースによるホフマンへの攻撃は、この連載の本筋では勿論ない。今回の文章では、これからロースの論考を読んでいくうえで、明らかに誰かを攻撃している箇所が間間あるが、上記のようなロースの独特な「いやがらせの技法」を理解し、濾過ろかできるようになっておかないと読解がその箇所に引きずられるかもしれないので、若干の交通整理をしておきたかったのである。

 ロースによるホフマンその人や分離派、ウィーン工房への敵対的な態度はよく知られているものの、その実態、いつ、どのような形でその態度が表現されるようになったのか、については、具体的にはあまり知られていないように思う。この経緯は必ずしも枝葉末節とは言い切れないと私は考えている。そこには心情的な反目が相当程度含まれており、その部分は今回同様濾過しつつ読む必要があるが、一方でロースの主義主張が端的に表され、敵対する対象のそれとせめぎあいを演じている場面もある。そうした箇所はこの連載の主題にとって大いに参考にできるだろうと思う。次回以降、上に挙げた「実態」についてロースの論考を取り上げ、整理しつつ紹介することとしたい。


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関連書籍

アドルフ・ロース[著]、鈴木了二/中谷礼仁[監修]、加藤淳[訳]、みすず書房、2015年

1Adolf Loos, “Der Settlermeister”, 1903 in TRoTZDEM, Adolf Opel(hrsg.), Prachner Verlag, Wien, 1931, S. 25(アドルフ・ロース「馬具屋の親方」『にもかかわらず』加藤淳訳、鈴木了二・中谷礼仁監修、みすず書房、2015年、14頁)
2Ibid., S.24(同訳書、13頁)


執筆者:岸本督司

アイキャッチ画像:ラインハルト・フェルケル《カフェ・グリーンシュタイドルにて》1896年