カールスプラッツ駅舎—オットー・ヴァーグナー

近代建築事始め[第2回]——建築と芸術

「近代建築事始め」連載一覧


 事実の確認から話を再開しよう。筆者は先に、アドルフ・ロースという人物が百年前のオーストリアにおいて、「建築は、芸術なのか?」という問いを投げかけたと述べた。それは間違いではない。だがここでは正確を期すため、もう少し詳しく見ておきたい。

 ロースが提示した実際の疑問とは、次のようなものである。

「建築とは芸術といっさい縁がないものであり、建築を芸術のなかのひとつに数え上げることはできないのではないか?」[1]Adolf Loos, „Archtektur”, 1910 in Gesammelte Schriften, Adolf Opel(hrsg.), Lesethek Verlag, Wien, 2010, S. 402(アドルフ・ロース「建築」『にもかかわらず』加藤淳訳、みすず書房、2015年、107頁).

 これは「建築Architektur」と題された1910年にアドルフ・ロースが発表した論考の一節である。この訳文をご一読いただければわかると思うが、この問いは否定疑問文の形で提示されている。否定文を疑問形にすることで、確認の意を込めたり反語的なニュアンスを添えたりする表現である。ロースは「建築は芸術なのか?」をニュートラルに聞いているわけではなく、「建築は芸術ではないのではないか?」と疑念を含ませつつ聞いているのだが、ロースがこのような持って回った問いの形を選択したという事実からはそれ相応の背景があるのだろうと推察される。

 ストレートに事実を記し、信念を表明するのではなく、疑問にそっと織り込むように否定を忍ばせるのはどんな時だろう。思うに、それはいわゆる「常識」に類するような大多数の考えに対して、少数派であると自覚しつつもあえて否定的な見解を述べるときではないだろうか。上のロースの問いにしても、前提として建築を芸術であるとする「常識」があって、その上で(でも本当は)という括弧つきのひと呼吸があると考えると、ロースの問いの形は自然なものに思われてくるのである。そして事実、そうであった。

 ロースの生きていた時代、19世紀末から20世紀初頭のオーストリア、ウィーンでは建築は芸術の一種と思われていた。当時のウィーンで最も影響力のあった建築家、オットー・ヴァーグナーは、ウィーンの「美術」学校で教鞭をとっていたし、その学生たちに向けた講義の副読本として書かれた1895年の著書『近代建築』においても、建築家を当然のように芸術家として扱い、建築を造形芸術の中で本当に創造的で生産的な唯一のものとして特権視してさえいる[2]Otto Wagner, Moderne Archtektur, Schroll Verlag, 3. Aufl., Wien, 1902, S. 19(オットー・ヴァーグナー『近代建築』樋口清/佐久間博訳、中央公論美術出版、1985年、14頁).

 ヴァーグナーといえば当時、古代ローマの時代から続くウィーンという都市が近代化していく過程において、地下鉄の駅舎や水門など現在も残る種々の公共建造物を実現させ、都市の様相に決定的な影響を及ぼした巨匠である。そんなヴァーグナーの見解を否定しかねない意味合いをもつロースの問いが多少及び腰になったとしてもむべなるかなだろう。

 ところで、ヴァーグナーがそれほどの巨匠であり、建築家として大成していたのなら、なぜわざわざ自著の冒頭で他の造形芸術に対して建築を持ち上げるようなことを書いたのだろうか。どこにそんな必要があったのだろう。

 幸いにして、ヴァーグナーは自分で説明してくれている。ヴァーグナーの『近代建築』は、決して大著というわけではない。日本語訳された書籍で120頁足らずのむしろ短い本だが、その前書きに続く最初の章一つを丸々割いて、ヴァーグナーは「建築家」について説明しているのである。そこで語られるヴァーグナーの建築家観からは、近代化の過程で建築家の役割がどのように変化し、それとともに建築家の「芸術家」としての地位もまた揺さぶりをかけられどのように変化したのか、それを受けて建築家として求められる人物像はどのようなものであったのかをうかがい知ることが出来るだろう。

 その内容について、これから分け入って行くつもりだが、それは同時にウィーンという都市の近代化について、とりわけその過程で起こったいくつかの事件やスキャンダル、偶然のように花開いた一群の芸術運動やその作品について、より詳しく知ろうとすることを意味するだろう。これら事件や運動や作品群は、現代ではまとめて「世紀末ウィーン」と呼ばれる。

 その構成要素のうちいくつかはロースも含まれるものであり、いくつかはロースが大いに共感を寄せ庇護しようとしたものであり、また別のいくつかは、彼が叩き潰そうとした対象である。

(続く)

「近代建築事始め」連載一覧
第1回 第2回 第3回 第4回 第5回 第6回 第7回 第8回


関連書籍

川向正人[著/監修] 関谷正昭[写真]、東京美術、2015年
オットー・ヴァーグナー[著]、樋口清/佐久間博[訳]、中央公論美術出版、2012年、特装版

1Adolf Loos, „Archtektur”, 1910 in Gesammelte Schriften, Adolf Opel(hrsg.), Lesethek Verlag, Wien, 2010, S. 402(アドルフ・ロース「建築」『にもかかわらず』加藤淳訳、みすず書房、2015年、107頁).
2Otto Wagner, Moderne Archtektur, Schroll Verlag, 3. Aufl., Wien, 1902, S. 19(オットー・ヴァーグナー『近代建築』樋口清/佐久間博訳、中央公論美術出版、1985年、14頁).


執筆者:岸本督司

アイキャッチ画像:ウィーン市営地下鉄カールスプラッツ駅旧駅舎(オットー・ヴァーグナー設計、1899年竣工) © Bwag/CC-BY-SA-4.0
画像出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Wien_-_Karlsplatz,_Otto-Wagner-Pavillon_(2).JPG


0 コメント
Inline Feedbacks
すべてのコメントを見る
0
よろしければ是非ともコメントをお寄せ下さいx