ウィーン美術アカデミー

近代建築事始め[第3回]——オットー・ヴァーグナー『近代建築』とウィーン分離派の結成

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 オットー・ヴァーグナーの『近代建築』に話を戻そう。初版の前書きによるとこの本はヴァーグナーがウィーン美術学校の教授に任命されたことを一つの契機として執筆されたものらしい。これは1894年に、前任者であるハーゼナウアーの死により同学校の教授職が空席となったことによるものであり、1841年生まれのヴァーグナーはこの時52歳か53歳だっただろう。先にも少し触れたように、ヴァーグナーはこの時すでにいくつもの設計競技で一等を勝ち取り、その結果として今日のウィーンの景観を形成することになるいくつかの建物や都市設備を実現させ、さらに都市計画にも構想や提言を発表していた。

 すでに大家といってよいヴァーグナーが後進を育てる立場になった訳だが、これほど大きな成功を収めていながら、ヴァーグナーがこの本の冒頭から口にするのは建築家を志すものを待ち受ける苦難の道のりについてだった。『近代建築』の最初の章は、前述したように「建築家」と題されている。ヴァーグナーの言うところでは建築家は「理想と現実をみごとに調和させた近代人の冠位にある者」[1]オットー・ヴァーグナー『近代建築』樋口清/佐久間博[訳]、中央公論美術出版、1985年、13頁。と讃えられてきた。ヴァーグナーはこの一文において、まず最初の修飾語によって「近代人」を称揚し 、その後に「近代人の冠位」にある者とすることで建築家を称賛している。「冠位にある者」とは聞きなれない表現だが「(その名で表されるような)高みにある者」というぐらいの意味にとっておいてさしあたり不都合はないだろう[2]原文ではこの部分は「als die Krone der modernen Menschen」となっている。これを辞書に載っている意味をつないで逐語的に直訳すると「近代的な人間の冠として」となる。これは上に挙げた訳書の表現と全く異なるというわけではないが完全に同じでもない。「als die Krone」の部分は直訳すると「冠として」となると書いたが、事実として人間は冠ではないので、これは一種の比喩表現とみるべきだろう。おそらく訳者は、「冠として」という比喩表現のあまりの直截さ、ぶっきら棒さを和らげつつ、この比喩表現の意味説明を同時に果たすために「冠位にある者」という表現に置き換えたのではないかと考えられる。

 続く箇所でヴァーグナーは、こうした認識を抱いているのは実は当の建築家だけであり、それ以外の人たちは特に共感もせず傍観しているとしながらも、自身はたとえ誇大妄想と非難されようとも、上記の認識に同調し声を上げて賛意を示すと述べている。

 この本はヴァーグナーの講義の内容をまとめたものとされている。少なくとも多少は両者、つまり本と授業の内容には相関するものがあっただろう。だとすれば、ヴァーグナーの授業に出た学生は開口一番、建築家を熱意を込めて称賛する教授の言葉に当てられることになる。中には建築家志望ではないのにと居心地の悪い思いをした学生もいたかもしれない。だがその反面、当初から建築家を志して講義に出席した学生は大いに勇気づけられもしただろう。

 全体として、この最初のページにおけるヴァーグナーの筆致の熱烈さは、少し殉教者を思わせるものがある。実際、冒頭で高らかな称賛の言葉をうたい上げたすぐ後で、建築家として生きるものに与えられる苦難をヴァーグナーは語る。曰く、「生涯の終わりまで続く建築家の修業、創ることに伴う責任、作品を実現する際に突き当たる大きな困難、建築芸術にたいする多くの人びとの無関心や偏見、そして建築家仲間の残念ながらあまりに多い妬みや意見の違い」[3]ヴァーグナー、前掲書、13頁。があり、これらによって、建築家の生涯はほとんど常に茨で覆われた道となっているのだという。そこには潤いと活気を与えてくれるような批判も称賛もなく、ただ灰色の実務と無関心が不気味に立ち込めて視界を遮っているのだという。

 それだけでなく、現実社会における成功や十分な報酬もすぐには見込めず、おそらくは何年もの負荷に耐えて建築作品を完成させた時まで待たねばならない上に、「芸術的な感激や創造の喜び」すらも、「自分には成功したと思われる基本構想をスケッチしたとき」にのみ得られるもので、他者に理解されたり分かち合ったりすることはできないとしている[4]同前、14頁。。そのため建築家は自分の報酬の大部分を内心の満足に求めなければならないという。そうであってもなお、建築家は変わらぬ愛と忍耐をもって自分の作品を見守らねばならず、たとえ報酬が施し程度でしかなく世間の理解が今後も得られないとしても迷ったり飽きたりしてはならないのだという。

 こうなってくると建築家は、ひたすら貧しく辛く寂しい生き方だということになる。あの冒頭部の熱烈な、殉教者的筆致は何だったのだろう。いや、だからこその殉教者的筆致だったのだと考えるべきかもしれない。冒頭の建築家称揚はその後の苦難の描写を引き立て、苦難の描写はそれにさらにつづく、前回紹介したような建築びいきのパラゴーネ(芸術比較論)を引き立てている。それらすべてに一貫し、かつ建築家を志す学生に前向きな気持ちをもたらしうる視線となれば、これは殉教者じみてくるのも無理はない。現代を生きる人はよほど感性の合う人でない限り、こうした熱烈さはむしろうさん臭く思うか、好意的に受け止めるにしてももてあますのではないかと思う。しかし同時代の若者でこうしたヴァーグナーの熱烈さにあてられた学生たちは大いに感化され、中には新たな殉教者に名乗りを上げる者もいた。そうした学生の中に二人のヨーゼフ、ヨーゼフ・マリア・オルブリヒとヨーゼフ・ホフマンがいた。彼らはヴァーグナーの仕事場で知り合い、画家のグスタフ・クリムトも交えてウィーン分離派という芸術運動を立ち上げることになる。

(続く)


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1オットー・ヴァーグナー『近代建築』樋口清/佐久間博[訳]、中央公論美術出版、1985年、13頁。
2原文ではこの部分は「als die Krone der modernen Menschen」となっている。これを辞書に載っている意味をつないで逐語的に直訳すると「近代的な人間の冠として」となる。これは上に挙げた訳書の表現と全く異なるというわけではないが完全に同じでもない。「als die Krone」の部分は直訳すると「冠として」となると書いたが、事実として人間は冠ではないので、これは一種の比喩表現とみるべきだろう。おそらく訳者は、「冠として」という比喩表現のあまりの直截さ、ぶっきら棒さを和らげつつ、この比喩表現の意味説明を同時に果たすために「冠位にある者」という表現に置き換えたのではないかと考えられる。
3ヴァーグナー、前掲書、13頁。
4同前、14頁。


執筆者:岸本督司
アイキャッチ画像:シラープラッツに立つウィーン美術アカデミー ⓒPeter Haas / CC BY-SA
画像出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Akademie_der_bildenden_Kuenste_DSC_2400w.jpg


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