草間彌生《黄かぼちゃ》1994年、直島

草間彌生とは誰なのか?——【書評】エリーザ・マッチェラーリ『KUSAMA——愛、芸術、そして強迫観念』(栗原俊秀訳/花伝社/2021年)

■前衛の女王

 始まりも終わりもなく際限なくひろがっていく無限の網、ポップでありながらもどこか毒々しいかぼちゃ、いそぎんちゃくのような無数の突起物(ファルス)に覆われた家具、合わせ鏡によって反復・増殖していく水玉模様、全面から不穏な空気を漂わせるコラージュ、画面全体を埋め尽くす異様な植物、人の顔、目。これらは、その素材や表現方法の差異にもかかわらず、どれも独特な存在感を放ち、一目で草間作品と分かるオリジナリティを備えている。

 その一方で、作者である草間彌生本人もまた、そのキャリアを通じて作品に劣らぬ存在感を示してきた。早くも1952年には、自分でデザインしたセーターを着て大量の自作に囲まれて座る草間の姿が美術雑誌に掲載されている[1]草間彌生『無限の網——草間彌生自伝』新潮社文庫、2012年、79頁に掲載の写真参照(掲載誌については情報なし)。草間とファッションの関係については、Greta Kühnast, ‘A Perfectly Circular Hole in a Dress: Statement Fashion by Yayoi Kusama’, in Stephanie Rosenthal (ed.), Yayoi Kusama: A Retrospective, Prestel, 2021を参照。。NY時代も、《集積の一千のボートショー》(1963-64年/ガートルード・スタイン画廊/NY)の際の、一糸まとわぬ後ろ姿で会場内に立っている写真をはじめとして、作品とともに映る草間の姿がいくつも残されているほか[2]こうした写真は、基本的にすべて草間のディレクションによるものだったようだ。、自身の写真を使った作品(《自己消滅》)も制作している。2000年以降の草間のイメージと言えば、自身の作品の柄で作られた派手なワンピースに赤やオレンジの鮮やかなおかっぱ頭だろう。ドキュメンタリー映像を見ても、その取り憑かれたような制作風景、自分のことを天才的と形容し、自分の作品が最高と言ってはばからないメンタリティは、常人とはかけ離れた感性を持ち、インスピレーションにしたがって作品を作るという通俗的な芸術家のイメージそのものを地でゆくかのようである。

 このように自己を演出する一方で草間は、自分の作品や展覧会へのレビューにはきちんと目を通し、他者からの評価を分析する事も忘れない。ドキュメンタリー映画『≒草間彌生——わたし大好き』(2008年)では自分が掲載された雑誌に目を通す草間の姿が記録されているが、自伝である『無限の網』にも初期からの批評文がいくつも引用されており、おそらく草間本人が手元に残してきたものなのだろう。ここに見られるのは、自分が他者の目にどう映っているかを分析する冷静な芸術家としての草間の姿である。

 こうした草間の二面性が特に明らかなのが、彼女の文学作品である。草間は造形作品だけでなく小説もいくつも発表し、詩もしたためるが、どの文章もイメージ豊かでなおかつきわめて明晰である。捉えどころがないようで一貫している、混沌としていながらも明瞭であるという、この両極の振れ幅が草間彌生という作家の大きな存在感に寄与していることは間違いない。

 草間の人間的な多面性を伝えるエピソードはそれこそ枚挙にいとまがない。小柄な身体で自分の身の丈以上の巨大なカンヴァス作品をギャラリーまで売り込みに持っていったかと思えば、重要な展覧会のオープニングには上等の着物姿で現れる。日本人であり女性でもあるという当時のアメリカ芸術界でのマイナス要因を自分を印象づけるためにもちいる草間の姿勢には、日本人(ないしはアジア人)であり、女性であり、元々NYに有力な伝手があったわけでもないという幾重にも困難な状況の中で、ひとりのアーティストとして生き抜くための強かさを見ることができるだろう[3]女性であることが当時のアメリカのアーティストにとってマイナス要因だったことは、ジャクソン・ポロックの妻であったリー・クラズナーや、ウィレム・デ・クーニングの妻エレイン・デ・クーニングが美術史においてほとんど言及されてこなかったという事実に端的に見出すことができる。。あくまでも「前衛」芸術家であることにこだわり、いわゆる「天才」型の芸術家として自己を演出しつつも、周りの状況をみながら自己プロデュースもできる。そうした両面性が草間彌生というアーティストをかたちづくっている。

 作品で言えば、例えばNYでのデビュー作となった無限の網シリーズ。1959年という抽象表現主義流行の真っ只中で発表されたそれは、草間本人の言によれば、「自分自身のみの内側から出た独創的な芸術を創作することが、自分の一生を作家として築いていく上で一番大切なことであると考えてきていたので、彼らとは正反対を志向する絵を発表した」[4]『無限の網』27頁。ということになるが、そのオールオーヴァーな構成や、巨大なサイズなどは明らかに当時のNYアートシーンの傾向を取り入れている。ここには、ある時代の中で自身のスタイルを形成していこうとするひとりの芸術家の姿を見出すことができるだろう。草間の無限の網を、当時批評家として活動していたドナルド・ジャッドは、「ロスコやスティルやニューマンなどのアメリカ人たちのあるものを確実に含んでいるが、決して合成物ではなく、まったく独自のものである」と評したが、それはやはり正鵠を射ていたように思われる。

■エリーザ・マッチェラーリ『KUSAMA——愛、芸術、そして強迫観念』

 さて、この度翻訳が出版されたエリーザ・マッチェラーリの『KUSAMA——愛、芸術、そして強迫観念』(栗原俊秀訳/花伝社)は、そんな草間の生涯を描いたグラフィック・ノベルである。草間の生涯についての資料としては、まずは草間自身による自伝『無限の網』(2002年作品社/2012年新潮社文庫)があげられるが、2018年には映画『草間彌生∞INFINITY』が制作・公開されている(日本公開は2019年)。提示されている参考資料を見るかぎり、本書も基本的にこの二つに依拠しているようだ。

 グラフィック・ノベルという用語に明確な定義はないようだが、ざっくりと言ってしまえば漫画形式で草間の生涯と制作を辿ることができる。全体としてコマ割りはシンプルで、淡々と描写されていく草間の生涯は、どちらかといえば饒舌な『無限の網』とも、成功と挫折を経て世界的なアーティストへ至るという一種の成功譚として草間の人生を描き出す『草間彌生∞INFINITY』ともまた違った感触を与えてくれる。写真や映像が残っていない出来事も、イメージを通じて知ることができるのはグラフィック・ノベルという形式の利点だろう。

 日本での草間関係の本との違いをあえてあげるとすれば、60年代後半のパフォーマンスに一定の分量を割いて紹介している点だろうか。日本での草間彌生展などで草間のパフォーマンスがきちんと紹介されていたという記憶は個人的にはあまりないが、この時期の草間はかなりの量の裸体パフォーマンスを行っていた。何人もの男女が教会の前で裸になって星条旗を燃やしたり、NY近代美術館の彫刻の庭で、野外彫刻に全裸でまとわりついたりとなかなか過激なものもあったようだ。もちろんこうした草間の活動にも当時発生してきたパフォーマンス・アートやヒッピー・カルチャー、ベトナム戦争への反対運動といった同時代の流れとの関連を見出すことができるだろう。草間のパフォーマンスは現地の新聞・雑誌などにも取り上げられ、その名はかなり知れ渡ったようだが、その一方で美術雑誌からその名が消えていくことにもなったらしい[5]この辺りの事情については、リン・ゼレヴァンスキー「ドライヴィング・イメージ——ニューヨークの草間彌生」木下哲夫訳、『草間彌生 ニューヨーク/東京』淡交社、1999年を参照。。いずれにせよ、その知名度とは裏腹に、草間を恒常的に支援するギャラリーは現れず、やがて心身ともに支障をきたし、草間は日本へと帰国することになる(こうした事情にはおそらく、草間が日本人女性であるという点が陰に陽に影響していた)。

 もちろんこうしたパフォーマンスがあまり紹介されないのは、日本においてそれを「芸術」ないしは「アート」とみなすような素地がいまだ十分に形成されていないということもあるだろうが、その裏には、草間彌生という存在をある程度分かりやすいイメージへと還元して消費しようとする欲望も透けて見える。そうした中で、グラフィック・ノベルという手に取りやすい形式で、草間の作品や活動を総体的に紹介してくれる本書の存在は十分意義を持つだろう。

 ただその一方で、本書で初めて知ることのできる新たな事実や見解が特にないのはやや残念なところである。先にも述べたとおり、本書は基本的には『無限の網』と『草間彌生∞INFINITY』を主たる典拠としており、すでに草間の活動をある程度知っている人にとってはそれを再確認するだけのものになるかもしれない。その場合は、近年世界中で開催されている草間彌生展のカタログなどを手に入れると良いだろう。2021年もドイツのマルティン・グロピウス・バウで大規模な草間彌生回顧展が開催されており、カタログも出版されている[6]Stephanie Rosenthal (ed.), Yayoi Kusama: A Retrospective, Prestel, 2021.

 ところで上記の草間のパフォーマンスは、草間がNYにいた頃から日本にもテレビや雑誌を通してある程度伝えられていたらしい。しかし草間自身によればそのほとんどは根も葉もないデマで、草間に対してもかなり礼を逸したものだったようだ[7]このあたりの事情については、『無限の網』150頁以下を参照。。しかしそうした悪評は草間の地元である松本まで届き、家族が恥ずかしい思いをしたというだけでなく、母校の名簿から草間の名前を削除するという事態にまで至った。映画『草間彌生∞INFINITY』では、誤解に晒され、排除されながらも故郷の美術館に作品が収められることになった経緯があたかも感動のエピソードのように語られていたが、この点に関しては違和感も感じざるを得ない。松本市美術館には草間の巨大な立体作品《幻の華》があるだけでなく、外観も草間のトレードマークである水玉に覆われており、ほとんど草間彌生美術館のような姿だが、そもそも自分たちで排除しておきながら世界的な大作家となった今になって草間の故郷であることを大々的にアピールするのはいかがなものだろうか。もちろんそのために尽力した方々に罪はなく、最大限敬意を表したいが、『無限の網』でも日本社会の芸術に対する無理解に対しては繰り返し苦言が呈されている。都合のいい部分だけを切りとって消費するだけでは、新しい文化も芸術も思想も生まれてくることは難しいだろう[8]草間と同様の誹謗中傷は、草間と同時期にオノ・ヨーコに対しても起こっていた。この点に関しては飯村隆彦『オノ・ヨーコ——人と作品』講談社文庫、1992年を参照。。草間に興味のある方には、本書だけでなく、是非とも草間自身の手による『無限の網』も手に取っていただきたいと思う。

■草間彌生とは誰なのか?

 最後に草間と、彼女が抱える精神的な疾患について少しだけ考えてみたい。草間の生涯を調べればすぐに出てくるように、彼女は幼い頃から幻聴や幻覚に襲われており、それから逃れるために絵を描きはじめた。本書『KUSAMA』もまた、ある日突然スミレが人間の言葉で話しかけてくる場面からはじまっている。

 草間の名が日本で広まるきっかけのひとつに、精神科医・西丸四方によって作品が症例として報告されたという経緯があり、いわゆる「アウトサイダー・アート」という言葉を日本に本格的に導入することになった国際巡回展「パラレル・ヴィジョン——20世紀美術とアウトサイダー・アート」が東京の世田谷区美術館で開催されたとき(1993年)、草間は同展には出品されていなかったものの、日本の独自企画「日本のアウトサイダー・アート」の一角をになわされていた[9]「パラレル・ヴィジョン」展およびアウトサイダー・アート一般については、服部正『アウトサイダー・アート——現代美術が忘れた「芸術」』光文社新書、2003年を、草間とアウトサイダー・アートとの関連については武田宙也「閾に立つ草間彌生——反転する自己様態」『ユリイカ』2017年3月号、青土社を参照。ただし武田は草間が「パラレル・ヴィジョン」展には入っていないと述べており、それはそれで正しいのだが、本稿でも述べたように、草間は同時開催の「日本のアウトサイダー・アート」に作品が展示されていた。。73年に日本に帰国してからは、精神病院に入院しながらアトリエに通い制作を続けている。

 もちろんこうした事情とは関係なく、草間は1950年には長野県展に、翌1951年には第2回創造美術展に入選しており、それ以降も批評家・滝口修造に批評文を寄せてもらったり、川端康成に作品を購入されたりと、それなりに順調にキャリアをスタートさせ、NYでの活動、その後の不遇の時期を経て、いまではアーティストとして世界的に知られている。しかしその背後には、草間と精神疾患の、さらに言えば芸術表現と狂気の曖昧な関係性がつねに存在していたのである。

 創作と狂気という古くからの問題は、詩人と神的な狂気について語ったプラトンにまで遡ることができるだろうが、近代以降の美術でもっとも有名なのはやはりゴッホだろう。草間はゴッホの偉大さについて、それは「彼が病気であったにもかかわらず、その芸術がいかに人間性にあふれ、強靱な人間美を持ち、求道の姿勢に満ちあふれていたかという、その輝かしい美しさにある。その激越な生きざまにある」[10]『無限の網』243頁。のだと書いていた。この言葉はそのまま草間自身にも当てはまるだろう。

 草間作品に見いだされるのは、その幻覚的なヴィジョンそのものではなく、芸術という媒介を通してその幻覚や恐怖を乗り越えようとする草間自身の生き様ではないだろうか。女性であること、日本人であること、精神的な疾患を抱えていること、それはすべて草間彌生というアーティストを形成する事実に過ぎない。女性だから人気があるのでもなければ、精神的な病を抱えているから作品が素晴らしいということでもない。たしかにこうした「アウトサイド」な側面が草間の再評価につながったことについては否定できない面もあるが、草間作品を通じて、われわれは通常見ることのできない世界、草間作品がなければ見ることができなかった世界を見る。それは自身のちっぽけな主観性を越えていく経験であり、これこそが芸術的経験と呼ぶにふさわしいものである。そしてこの経験の巨大さこそが、草間彌生というアーティストの偉大さを形成するものなのである。


関連書籍

エリーザ・マチェッラーリ[著]、栗原俊秀[訳]、花伝社、2021年。——比類なき成功を収めた「女性芸術家」、その光と影―― 前衛の女王・草間彌生の「闘い」を鮮やかに描いたイタリア発のグラフィック・ノベル
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草間彌生[著]、新潮社文庫、2012年
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Stephanie Rosenthal (ed.), Prestel, 2021
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1草間彌生『無限の網——草間彌生自伝』新潮社文庫、2012年、79頁に掲載の写真参照(掲載誌については情報なし)。草間とファッションの関係については、Greta Kühnast, ‘A Perfectly Circular Hole in a Dress: Statement Fashion by Yayoi Kusama’, in Stephanie Rosenthal (ed.), Yayoi Kusama: A Retrospective, Prestel, 2021を参照。
2こうした写真は、基本的にすべて草間のディレクションによるものだったようだ。
3女性であることが当時のアメリカのアーティストにとってマイナス要因だったことは、ジャクソン・ポロックの妻であったリー・クラズナーや、ウィレム・デ・クーニングの妻エレイン・デ・クーニングが美術史においてほとんど言及されてこなかったという事実に端的に見出すことができる。
4『無限の網』27頁。
5この辺りの事情については、リン・ゼレヴァンスキー「ドライヴィング・イメージ——ニューヨークの草間彌生」木下哲夫訳、『草間彌生 ニューヨーク/東京』淡交社、1999年を参照。
6Stephanie Rosenthal (ed.), Yayoi Kusama: A Retrospective, Prestel, 2021.
7このあたりの事情については、『無限の網』150頁以下を参照。
8草間と同様の誹謗中傷は、草間と同時期にオノ・ヨーコに対しても起こっていた。この点に関しては飯村隆彦『オノ・ヨーコ——人と作品』講談社文庫、1992年を参照。
9「パラレル・ヴィジョン」展およびアウトサイダー・アート一般については、服部正『アウトサイダー・アート——現代美術が忘れた「芸術」』光文社新書、2003年を、草間とアウトサイダー・アートとの関連については武田宙也「閾に立つ草間彌生——反転する自己様態」『ユリイカ』2017年3月号、青土社を参照。ただし武田は草間が「パラレル・ヴィジョン」展には入っていないと述べており、それはそれで正しいのだが、本稿でも述べたように、草間は同時開催の「日本のアウトサイダー・アート」に作品が展示されていた。
10『無限の網』243頁。


執筆者:渡辺洋平

アイキャッチ画像:草間彌生《黄かぼちゃ》1994年、香川県直島、photo by Fæ(CC-BY-SA)


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