Sphere-of-Wisper-eyecatch

内緒話の領域 ——スザンヌ・レイシー《ささやき、波、風》

 フェミニスト・アートの先駆者スザンヌ・レイシーによる《ささやき、波、風(Whisper, the Waves, the Wind)》(1983-84)は、65歳以上の高齢女性が自身の生、関係性、希望、不安について語り、それを1000人の観客が眺めるというカリフォルニアで行われたパフォーマンスである。当時政治的な場に姿を現すことはほとんどなかった高齢女性たちの個人的な会話にフォーカスし、それを生や老いというテーマとして扱うこの作品はまさに、「個人的なことは政治的なことである」という第二波フェミニズムのスローガンとともに理解されるべきものだろう。このスローガンは、私的な出来事が単に個人的な経験ではなく、不均衡な権力関係やジェンダー的な不平等を反映させた政治的な問題であることに気づきを与える、重要な指針であった。フェミニズムがますます社会に浸透する昨今においても、このスローガンはなお効力を発しているといえる。こうした時流の中、ここではあえてこう問うてみたい。個人的なことはすべて政治的なことなのか、と。《ささやき、波、風》は意外にも、この問いに回答を用意している。

 このパフォーマンスは二部構成となっている。はじめ、年配の女性たちが白い服に身を包み、海岸で談笑している様子を、観客がただ崖の上から眺めるだけの時間がとられる。その間、観客は海岸のでなされる会話のかわりに、芸術家のスーザン・ストーンによって編集された女性たちの会話をテープで聞くこととなる。次に、観客は崖の下へと降りていき、女性らの会話に直接耳を傾ける機会を得る。同時にこのとき、観客は彼女らと会話をすることもできるようになる。

 この作品において、女性たちは自身の生や老いについて語る。これにより、これまで声を与えられてこなかった女性、とりわけ高齢の女性が自らの生や年齢について、自らの言葉で語る場を創出することが可能になる。さらにそれをパフォーマンスとして行うことによって、女性たち一人一人が持つ固有の生は共有されるべき議題へと変容するのだ。また観客が海岸に降りてきた際、観客と女性らが会話を交わすことも考慮すると、これはあらゆる世代で「生」や「老い」について考えるためのパフォーマンスであるともいえるかもしれない。

 そのほかにも人種的多様性が考慮されている点など、この作品において特筆されるべきトピックは多い。しかしここでは、次のような点に着目してみたい。なぜ初め、観客は直接女性らの会話を聞くのではなく、ストーンによって編集されたテープを聞くのだろうか。なぜタイトルは「ささやき」なのだろうか。更にいえば、なぜ海岸でこのパフォーマンスを行ったのだろうか。海はカリフォルニアを象徴するとはいえ、波の音と風の音といったノイズが、会話を邪魔するはずであるのに。

 こうした点に目を向けることで、このパフォーマンスには会話に耳を傾けることを遮断するような要素が含まれていることに気がつくだろう。つまりこのパフォーマンスにおいて、はじめ女性たちの間で交わされる生の会話は聞こえない上に、海岸に降りた後も、別のグループの話し声や、波や風の音で正確には聞き取れない可能性があるのだ。これを踏まえると、この作品は他者の声を可視化し、対話を促す効果を持ちながらも、むしろそれらを遮断するような側面を有しているものだといえる。

 だとすればこれは「個人的なことは政治的なこと」であるとし、普段家庭に縛られ、公的な場に姿を現さない高齢女性の生を政治化しながらも、なお「内緒話(whisper)」の領域を残しておく、そんな作品だといえそうだ。このスローガンが生み出した政治的貢献はもはや言うまでもないが、かといって個人的な考えや経験のすべてを他者に引き渡たさなければいけないわけではない。「個人的なことは個人的なこと」として、心の内に秘めておいてもよいのだ。《ささやき、波、風》は、政治的なことと個人的なことの間の境界をどこに引くべきかと悩む現代の我々に、「内に秘める」という選択肢をもう一度提示してくれるのである。


関連書籍

Suzanne Lacy, Duke University Press Books; Illustrated edition, 2010
Rudolf Frieling, Lucia Sanromán, Dominic Willsdon, Prestel, 2019

執筆者:松本理沙(京都大学大学院博士後期課程)

アイキャッチ画像:Photo by IsabelMeyer
画像出典:https://pixabay.com/photos/to-cathedral-spain-glass-ball-3385818/