ティツィアーノ《クリストフォロス》1523年頃、フレスコ画、300×179cm、ドゥカーレ宮殿、ヴェネツィア

中世イタリアにおける聖人信仰[第2回]——クリストフォロス(祝日7月24日)

 幼子を肩にのせ、杖を手に川を渡る大男。このような姿で表される人物は、たいていの場合、「キリストをになう者」という意味をもつクリストフォロスであるといえよう。クリストフォロスは250年頃、デキウス帝の迫害[1]デキウス帝(在位201~251年)はローマ帝国の統治をより一層強めるために、古代ローマの神々への祭儀を行うよう市民に命じ、これに従わないキリスト教徒を迫害した。の下で没したとされるカナン人[2]パレスティナのヨルダン川以西の地域のこと。で、最も古い記録は5世紀まで遡ることができるという。船頭や旅人といった運送や移動にかかわる人々を守護する聖人として広く親しまれており、さらには「臨終の秘跡」[3]死の間際のキリスト教徒が聖職者を前に告解をし、祈りを捧げ、聖職者はキリスト教徒に聖油を塗り、聖体を意味するパンとワインを与える儀式のこと。を受けられずに死ぬものがその名を口にすれば守護を得られるとも信じられてきた。

 13世紀に成立したヤコブス・デ・ウォラギネ『黄金伝説』 によれば、身の丈は5メートル強もあったというクリストフォロス[4]ヤコブス・デ・ウォラギネ『黄金伝説3』前田敬作・西井武訳、平凡社、2006年。はこの世で一番強いものに仕えようと考え、武勇の誉れ高い王のもとを訪れたが王は悪魔を恐れていた。王の下を離れ、再び主君探しの旅に出たクリストフォロスは荒野で出会った悪魔に仕えることにしたが、その悪魔はキリストを恐れた。再び主を求めてさまよい歩いたクリストフォロスは、長い旅路の末、ある隠修士に出会う。隠修士からはキリストの到来を待ちつつ断食することを進められるがクリストフォロスは苦手だと渋る。それではと次に勧められた祈祷もやり方がわからないと断る。嫌なものを嫌といい、苦手なものを苦手というとは、なんとも人間的なやり取りではないだろうか。最終的にクリストフォロスは川守りであれば、自分にぴったりの仕事だと受け入れる。彼は川のほとりに小屋を建て、川に流れされないよう杖を支えにしながら人々を担いで向こう岸へと渡すことにした。

 そうして、ある日、ひとりの幼子が川を渡してほしいとや声をかけてきた。クリストフォロスがその子を背負って川を渡り始めると、進めば進むほどその子は重くなり、川の水位は高くなっていった。何とか川を渡り切ったクリストフォロスは「ほんとうに危ないところだった。子供のくせに、なんて重いんだ。世界をまるごと肩にのせても、こうは重くはなかったろう」[5]前掲書、21頁。とぼやくと、その子どもはみずからこそが世界の創造者であると語る。正体を明かした幼児キリストは、クリストフォロスに洗礼名を与え、その証としてクリストフォロスの杖に葉を茂らせ、花を咲かせ、実をならせた[6]神がみずからが選定したものを示す方法として生命力のない杖に花を咲かせるというモチーフは、モーセの兄アロンや、聖母マリアの夫ヨセフの伝承にもみられる。。このキリストを背負って川を渡るという行為はキリスト教における「洗礼」を意味しているという[7]前掲書、27頁、註3。。確かに、『黄金伝説』においてそれまで朴訥とした人柄で表されていたクリストフォロスは、幼児キリストとの出会いの後はあたかも「開眼」したかのように理性的な行動をとるようになる。1919年、芥川龍之介は雑誌「新小説」で、キリストと出会うまでのクリストフォロスの生涯を翻案した作品「きりしとほろ上人伝」を発表している。そこでのクリストフォロスは純粋に強さを追及する無垢で心優しい大男として表されており、どことなく日本のダイダラボッチを想起させる。

 キリストのとの出会いの後、クリストフォロスは旅に出て、迫害されるキリスト教信者を励まし、多くの異教徒を改宗させたと記されている。やがて捕らえられ、数々の拷問を受けたが、燃え盛る炎も降り注ぐ矢も彼を苛むことはできなかった。その矢の一本が拷問を命じた王の目に命中するが、首をはねられ殉教したクリストフォロスの血を塗るとたちまちのうちに元通りになったことから、王はクリストフォロスの熱心な信者となったという。

 東方キリスト教世界ではクリストフォロスは犬の頭を持つ人型の姿で表されることがあるが、これは「カナン人(cananeus)」が「犬の(canineus)」と混同されたことに由来するのではとも考えるものもいれば[8]前掲書、26頁:ジェイムズ・ホール『西洋美術解読辞典』高階秀爾訳、河出書房新社115頁。、レプロブスというアフリカにすむ犬の頭を持つ人食いの巨人もしくは、エジプト神話アヌビスに由来するとも考えるものもいる[9]『黄金伝説』、27頁、註5。

 一方、西方ではクリストフォロスは大男として表され、初期キリスト教時代から単身でも人気の聖人であったが、後年にはしばしば他の聖人と組み合わされて崇敬されてもいた。それが「14救難聖人」というユニットである。この「14救難聖人」とは、西方カトリック世界において崇敬される聖人のなかでも、とりわけ危険や困難が差し迫った際に名前を呼ぶと助けてくれるとされた14人の聖人のことを指す[10]具体的に名前を挙げると、アカキオス、バルバラ、ブラシウス、アレクサンドリアのカタリナ、クリストフォロス、キリアクス、パリのディオニュシオス、エラスムス、エウスタキウス、ゲオルギオス、アエギディウス、アンティオキアのマルガリータ、パンテレオヌス、ルカニアのヴィトゥスの14人である。時代や地域などによっては、14人のうち何人かが別の聖人に差し替えられることもある。

 彼らが初めてユニットとして記されたのは、ドイツ南東部バイエルン州の都市パッサウの司教による書簡(1284年)がはじめだとされ、とりわけ14世紀のペストの流行の際にその信仰がより強化されたと考えられる。その後、同地のランクハイム修道院の牧師は1445年9月に畑で泣いている赤ん坊を見かけ、近づこうとすると消えてしまったと記している。その後も赤子は出現を繰り返したとされ、翌7月、みずからを「救難聖人」と名乗る14人の幼子とともに現れた赤子は、この場所に礼拝堂を立てるよう伝えた。数日後、人々がその場所に重い病を患う少女を連れて行くとたちまち回復したこともあって、すみやかに礼拝堂が建てられ、1448年には最初の祭壇が奉献されている。多くの人々がこの奇跡の地へ巡礼に訪れるようになったが、1525年にはこの礼拝堂は農民戦争で破壊され、1543年に再建されるも17世紀前半の30年戦争で破壊され再建されるなど、破壊と再生を繰り返していった。同州のアウクスブルクには、画家であり版画家としても名を馳せたハンス・ブルクマイヤーの14聖人を描いた作品(1501年)が残されている。中央には教皇冠を被り、カギを手に持つペテロが描かれており、左右に聖人たちが七人ずつ配されている。クリストフォロスは向かって右側に、幼児キリストを担いだ姿で描かれている。

 このようにキリスト教世界において古くから、そして広い地域で崇敬の歴史がみられ、とりわけルネサンス期にはジョヴァンニ・ベッリーニ、ティツィアーノ、デューラー、ボスなど名だたる芸術家がその姿を描いている。名のある画家に限らず、「朝彼の画像を拝めば、一日じゅう生命を守ってもらえる。そのために教会の内や外、市門や塔、建物の入口など人目につきやすい場所をえらんで彼の画像(それもできるだけ大きな)が掲げられた」とされ、多くの人々が視覚的に繰り返し慣れ親しんでいた存在だといえよう。1969年には実在したかどうかに疑いが残るとされ、カトリックの正式な教会歴からは外されてしまったクリストフォロスではあるが、その名を冠した教会や礼拝堂は今も各地に残り、人々にとって伝統的に力強いイメージを持つ聖人であったことには違いないだろう。


中世イタリアにおける聖人信仰」連載一覧
第0回 第1回 第2回


関連書籍

ヤコブス・デ・ウォラギネ[著]、前田敬作/今村孝[訳]、平凡社ライブラリー、2006年

1デキウス帝(在位201~251年)はローマ帝国の統治をより一層強めるために、古代ローマの神々への祭儀を行うよう市民に命じ、これに従わないキリスト教徒を迫害した。
2パレスティナのヨルダン川以西の地域のこと。
3死の間際のキリスト教徒が聖職者を前に告解をし、祈りを捧げ、聖職者はキリスト教徒に聖油を塗り、聖体を意味するパンとワインを与える儀式のこと。
4ヤコブス・デ・ウォラギネ『黄金伝説3』前田敬作・西井武訳、平凡社、2006年。
5前掲書、21頁。
6神がみずからが選定したものを示す方法として生命力のない杖に花を咲かせるというモチーフは、モーセの兄アロンや、聖母マリアの夫ヨセフの伝承にもみられる。
7前掲書、27頁、註3。
8前掲書、26頁:ジェイムズ・ホール『西洋美術解読辞典』高階秀爾訳、河出書房新社115頁。
9『黄金伝説』、27頁、註5。
10具体的に名前を挙げると、アカキオス、バルバラ、ブラシウス、アレクサンドリアのカタリナ、クリストフォロス、キリアクス、パリのディオニュシオス、エラスムス、エウスタキウス、ゲオルギオス、アエギディウス、アンティオキアのマルガリータ、パンテレオヌス、ルカニアのヴィトゥスの14人である。時代や地域などによっては、14人のうち何人かが別の聖人に差し替えられることもある。


執筆者:河田淳
京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程満期退学。

アイキャッチ画像:ティツィアーノ《クリストフォロス》(部分)1523年頃、フレスコ画、300×179cm、ドゥカーレ宮殿、ヴェネツィア


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