ジャック=ルイ・ダヴィッド《ソクラテスの死》

事実と虚構[第3回]——プラトンと虚構について(2)

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事実と虚構[第2回]キノコのイデア――プラトンと虚構について(1)

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■無知の知とメノンのパラドクス

 無知の知とはどのようなものか。この単語をすでにご存知の人もいるかもしれないが、まずはソクラテス自身の言葉を見てみたい。

しかしわたしは、自分一人になったとき、こう考えた。この人間より、私は知恵がある。なぜなら、この男もわたしも、おそらく善美のことがらは、何も知らないらしいけれども、この男は、知らないのに、何か知っているように思っているが、わたしは、知らないから、そのとおりに、また知らないと思っている。だから、つまりこのちょっとしたことで、わたしのほうが知恵のあることになるらしい。つまりわたしは、知らないことは、知らないと思う、ただそれだけのことで、まさっているらしいのです。(『ソクラテスの弁明』21D[1]本稿での引用については、原典(訳本)内の文章をそのまま用いている。使用した訳本は、以下の通りである。『ソクラテスの弁明』プラトン(田中美知太郎、池田美恵訳)『ソークラテースの弁明・クリトーン・パイドーン』新潮社、2016年(kindle版)。『メノン』プラトン(藤沢令夫訳)『メノン』岩波書店、1994年。

 プラトンの師であるソクラテスは、あるとき、彼の友人であるカイレポンが「ソクラテスよりも知恵のあるものは誰もいない」という神託を受けたことを聞く。「神は嘘をつくまい」などと悩みつつ、ソクラテスは知者とされる人たちを訪ね、この神託の意味を聞こうとする。しかし、そうした人と話しているうち、ソクラテスは、彼らもまた実際には「何も知らない」のに、「知っていると考えている」だけだと看破する。「では、「何も知らない」ということを知っている私のほうが幾分マシではないか」――ソクラテスはそこで、少しパラドクスめいた、しかし偉大な「無知の知」に至ったのであった。


 この「無知の知」について、みなさんはどう思うだろうか。「ソクラテスは謙虚だな」「何も知らないというところから自身の優位性を認識できるのは鋭いな」といったように、これに好意的な意見をもつ人も少なくないと思う。しかし私には、この「無知の知」は、なかなかに窮屈な制約のように思われる。どういうことか。ソクラテスに与えられた知は、結局のところ、「ソクラテスは何も知らない」ということだけであり、そこから論理をどう駆使しようと、大した認識に至ることはできない。もしくは、仮にそこから何か別の知識を得られたとすれば、それはそもそも「無知の知」ではなくなってしまう。無知の知を誇ることは一種の美徳に見えるが、ソクラテスは、ここで知について自縄自縛の状態になってしまっているのである。

 この状態がソクラテスのなかで自己完結するとすれば、それはそれで一種の喜劇だろう。しかしソクラテスはそれに満足しなかった。無知の知のより正しい解釈を求めるという名目[2]ソクラテスは、「ソクラテスよりも知恵のあるものは誰もいない」という神託の真の意味を与えてくれたり、あるいはそれを反駁してくれる人の話を聞く、という名目を掲げている(『ソクラテスの弁明』21C)。また、これが人の憎しみを買うことになっても、「神のことを一番大切にしなければならない」(ソクラテスの弁明』21E)ことを理由に、尋ねまわることをやめなかった。なぜ無知のはずのソクラテスが、「神のことを一番大切にしなければならない」と言えるのだろうか。で、ソクラテスは、知者、政治家、劇作家らを訪ね、彼らと言葉を交わすうちに、彼らをやりこめ、彼らの無知を暴露することとなった。また、彼ら自身の無知を看取したソクラテスは、「知恵があると思っているけれども、そうではないのだということを、はっきりわからせてやろう」と積極的に試みるようになった。「徳とは何か」「美とは何か」というテーマを、「われこそが最高の知者」であると考えている人に尋ね、結局のところ彼らが徳や美について何も知らないことを示してしまうのである。

 こうした活動のせいで、ソクラテスは世の人の怒りを買い、ついには裁判にかけられ、刑死することとなった。ところで、このソクラテスの活動には、一つの反論が考えられる。それは、『メノン』のなかに登場するメノンがソクラテスに与えた反論の一部であり、メノンのパラドクス、あるいは探求のパラドクスなどと呼ばれている。

おや、ソクラテス、いったいあなたは、それ〔徳〕が何であるかあなたにぜんぜんわかっていないとしたら、どうやってそれを探求するおつもりですか?というのは、あなたが知らないもののなかで、どのようなものとしてそれを目標に立てたうえで、探求なさろうというのですか?あるいは、幸いにしてそれをさぐり当てたとしても、それだということがどうしてあなたにわかるのでしょうか­­――もともとあなたはそれを知らなかったはずなのに。(『メノン』80D)

 これは、徳について探求しながら、「徳について何も知らない」と言ったソクラテスへ向けられた言葉である。「無知の知」を貫いたソクラテスに対し、それでは、そもそも探求の目標を立てることもできないし、偶然認識できた対象が求めていた当のものだと気づくこともできないのではないか、という趣旨である[3]この反論は、すぐあとにソクラテスによって次のようにパラドクスの形で定式化される。「人間は、自分の知っているものも知らないものも、これを探求することはできない。というのは、まず、知っているものを探求するということはありえないだろう。 (…)知らないものを探求することもありえないだろう。なぜならその場合は、何を探求すべきかということも知らないはずだから」(『メノン』80E)。

 このメノンの反論は、無知の知に対する大きな一撃となっている。まったくの無知であれば、テーマとなっている徳そのものだけでなく、それをどのように探求するべきかすら、理解しているとはいえない。それでは、種々の人を訪ねて話を聞くソクラテスの手法の合理性すら揺らぎかねない。神託の真意を得るために彼らを訪ねて意見を聞くとしても、それが果たして正しいかどうか吟味することができないからである。そもそも、そうした人たちに尋ね歩く手法自体が正しいのかすら分からない[4]『メノン』は『ソクラテスの弁明』より後に書かれたと言われており、ソクラテスの弁 明』の中では見られなかったメノンのパラドクスが『メノン』のなかで登場している。これは、ソクラテスの議論の欠陥を後から見て、プラトンがそれを修正しているように見え る。学問一般、そして特に哲学を学ぶ上で非常に面白い点がここに現れている――学者が ある主張をした後で、それに対する批判を受けて応答していく姿である。

 私には、普通の方法では、無知の知がこの反論を切り抜けることは不可能であるように見える。実際、ソクラテスが与えた答えは、いくぶん突飛なものだった。節をまたぐほど長い答えとなるが、見てみよう。

人間の魂は不死なるものであって、ときには生涯を終えたり­(…)ときにはふたたび生まれてきたりするけれども、しかし滅びてしまうことはけっしてない。(…)魂は(…)すでにいくたびとなく生まれかわってきたものであるから、そして、(…)いっさいのありとあらゆるものを見てきているのであるから、魂がすでに学んでしまっていないようなものは、何ひとつとしてないのである。だから、徳についても、その他いろいろの事柄についても、いやしくも以前にも知っていたところのものである以上、魂がそれらのものを想い起こすことができるのは、何も不思議なことではない。なぜなら、事物の本性というものは、すべて互いに親近なつながりをもっていて、しかも魂はあらゆるものをすでに学んでしまっているのだから、(…)ある一つのことを想い起こしたこと――このことを人間たちは「学ぶ」と呼んでいるわけだが――その想起がきっかけとなって、おのずから他のすべてのものを発見するということも、充分にありうるのだ。それはつまり、探求するとか学ぶとかいうことは、じつは全体として、想起することにほかならないからだ。(『メノン』81B-D)

 この議論は、二つのポイントで構成されていることに注意したい。

(A)私たちの魂は、すでにあらゆることを学んでしまっているが、忘れている。
(B)あらゆることがらは、つながりのあるものの想起が起こると、連鎖的に想起される。

 この二つが組み合わさると、未知の対象の想起が直接起こらないとしても、その対象に類似するものの想起が起こることで、間接的に想起が生じうる。つまり、徳そのものを直接認識できず、それゆえその認識に至る方法を知らないとしても、それに類似する対象を想起することで、結果的に徳の認識に至る。これはもちろん徳に限らない。「事物の本性のつながり」をたどるかぎり、あらゆる対象の知を得ることができる、ということになる。すでに挙げた「クチベニタケ」の本性を知らなくとも、それに関連するものを認識していると、ある瞬間に、「クチベニタケ」というキノコの本性を理解――プラトンの言葉では想起――できるときがくる。


 ソクラテスに対するこの擁護は、ある意味で非常に危うい橋を渡っている。その危険さは、「このことを人間たちは「学ぶ」と呼んでいるわけだが」という言葉に表れている。私たちが普通「学ぶ」、「学習する」という言葉で呼ぶ出来事を、「想起する」という全く異なる出来事で捉え直すことは、よほど説得的な説明がないかぎり理解されない[5]しかし、哲学という学問では、概してこの種の「捉え直し」が盛んである。哲学=捉え直しということについては、また別の機会に触れたい。。少なくとも、21世紀に住む私たちは、「学ぶ」を「想起する」ということを通して理解しているわけではないし、そのような言葉の用法はこれまでなかっただろう。それゆえにプラトンの擁護は突飛にみえる。突飛であるという理由でそれを退けるのは造作もないし、実際に退けても文句は言われない。しかし、哲学を学ぶのであれば、私たちはなぜプラトンがこのような擁護をしたのかを見る必要がある。実際に納得できるかどうかは別として、その理由には、哲学史上の最大の遺産が眠っている。そしてその理由の探究をつうじて、「事実」という概念に頼らざるをえない私たちの一つの本性もまた、明るみに出されることになるだろう。(続く)


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第1回 第2回 第3回


関連書籍

プラトン[著]、田中美知太郎/池田美恵[訳]、新潮社、2016年
プラトン[著]、藤沢令夫[訳]、岩波書店、1994年

1本稿での引用については、原典(訳本)内の文章をそのまま用いている。使用した訳本は、以下の通りである。『ソクラテスの弁明』プラトン(田中美知太郎、池田美恵訳)『ソークラテースの弁明・クリトーン・パイドーン』新潮社、2016年(kindle版)。『メノン』プラトン(藤沢令夫訳)『メノン』岩波書店、1994年。
2ソクラテスは、「ソクラテスよりも知恵のあるものは誰もいない」という神託の真の意味を与えてくれたり、あるいはそれを反駁してくれる人の話を聞く、という名目を掲げている(『ソクラテスの弁明』21C)。また、これが人の憎しみを買うことになっても、「神のことを一番大切にしなければならない」(ソクラテスの弁明』21E)ことを理由に、尋ねまわることをやめなかった。なぜ無知のはずのソクラテスが、「神のことを一番大切にしなければならない」と言えるのだろうか。
3この反論は、すぐあとにソクラテスによって次のようにパラドクスの形で定式化される。「人間は、自分の知っているものも知らないものも、これを探求することはできない。というのは、まず、知っているものを探求するということはありえないだろう。 (…)知らないものを探求することもありえないだろう。なぜならその場合は、何を探求すべきかということも知らないはずだから」(『メノン』80E)。
4『メノン』は『ソクラテスの弁明』より後に書かれたと言われており、ソクラテスの弁 明』の中では見られなかったメノンのパラドクスが『メノン』のなかで登場している。これは、ソクラテスの議論の欠陥を後から見て、プラトンがそれを修正しているように見え る。学問一般、そして特に哲学を学ぶ上で非常に面白い点がここに現れている――学者が ある主張をした後で、それに対する批判を受けて応答していく姿である。
5しかし、哲学という学問では、概してこの種の「捉え直し」が盛んである。哲学=捉え直しということについては、また別の機会に触れたい。


執筆者:豊川祥隆(大学非常勤講師)

アイキャッチ画像:ジャック=ルイ・ダヴィッド《ソクラテスの死》1787年


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