奈良公園の鹿

芸術を学ぶ、教えるということ

 榊原紫峰『花鳥画を描く人へ』中央美術社、1924年


 2021年5月1日現在 、新型コロナウイルスの影響により1年遅れで日本画家・石本正(1920‐2015)の生誕100年にあたる大回顧展が島根県立美術館で開催されている[1]「生誕100年 回顧展 石本正」島根県立美術館、2021年4月2日~5月24日。以降は全国3か所を巡回。。石本正は30代前半に画壇で一躍脚光を浴び、1971年に日本芸術大賞、芸術選奨文部大臣賞を立て続けに受賞するも、以降すべての賞を辞退、地位や名誉を求めることなく独自の日本画を追求した。文豪・川端康成(1899‐1972)はその作品を高く評価し、実現こそしなかったが自作『伊豆の踊子』の挿絵を石本に依頼している。京都市立芸術大学や京都芸術短期大学などで学生の指導にもあたり、石本の作家として真摯な姿勢は現在でも多くの作家達に影響をあたえている。著書『石本正と楽しむ裸婦デッサン』の中では「絵を描く技術は教える必要はない。技術は人から教わるもんやない。楽しくなれば自分で工夫するようになる。そのためにも僕は絵を描く楽しさや心を伝えたい。」と語っている。しかし同時に「本当は大学でやれたらいいんだが、なかなか出来んかった。」[2]『石本正と楽しむ裸婦デッサン』石本正著、新潮社、2009年、35頁。と、大学での芸術——絵画——指導とその難しさについて吐露している。

 石本正は京都市立絵画専門学校(現京都市立芸術大学、以下絵専)の日本画科に1940年から1944年に在籍している。日本画科の伝統に基づいた授業内容に窮屈さを感じ、関西美術院、関西日仏学館で洋画のデッサンを学び、京都周辺の古寺や博物館を巡って古典美術への造脂を深めたという。しかし前近代的な絵専と距離をとっていたわけではなく、その制作は明らかに先学を踏まえたものであることは今回の回顧展でも指摘されている[3]「石本正という存在——戦後京都における日本画のゆくえ」田野葉月、『生誕100年 回顧展 石本正』朝日新聞社、2021年、218頁。。石本正が絵専に在学中、教授には中井宗太郎(1879-1966)、入江波光(1887-1948)、榊原紫峰(1887-1971)など、前衛的な日本画運動であった国画創作協会(1918-1928)の色彩が強く残っている時期でもあった。国画創作協会のメンバーで、石本正と同じく舞子を描いた土田麦僊(1887-1936)、村上華岳(1888-1939)、入江波光についてはその影響が言及されているが、私は制作姿勢、後進の指導などを考えたときに、むしろ榊原紫峰の影響が大きいように感じられる。

 榊原紫峰は絵専の第1回の卒業生で級友でもあった土田麦僊、小野竹喬、入江波光、村上華岳らとともに文部省主催の展覧会に反旗をかかげ、国画創作協会を結成した。国画創作協会解散後は画壇から離れ、精神性の高い墨絵を手掛ける傍ら、母校の絵専で後進の指導にもあたっている。紫峰は円山・四条派の写生・粉本を基とした伝統的な様式のみならず、西洋の写実性や桃山の装飾性、中国の宋元画の影響を強く受けた作品を残した。花鳥を描けばナンバーワンと言われるほど現代においてもその実力は高く評価されている[4]『日本画の愉しみ 小品絵画の魅力』川崎正継著、淡交社、2013年、28頁。。2019年、京都先斗町歌舞練場で開かれた「京都 日本画新展 記念シンポジウム~日本画の未来・京都の役割~in 先斗町歌舞練場~」にてコメンテーターの一人が紫峰の『蓮池』(1926)を「生涯最後に見たい絵」と取り上げたことがあったが、紫峰がこの絵で狙った「仙境とか淨土(餘り好きな言葉ではないが)という氣持」[5]『紫峰芸術観』榊原紫峰著、河出書房、1940年、262頁。がよく表されている作品だと思う。近年「創立100周年記念 国画創作協会の全貌展 生ルヽモノハ藝術ナリ」(和歌山県立近代美術館他2018年)や、「没後50年榊原紫峰展」(足立美術館2021年)が開催されるなど、その作品を見る事のできる機会は多い。著書『花鳥画を描く人へ』では石本正と同様に「繪は敎へられるものではなくして、自ら學ぶべきものです」[6]『花鳥画を描く人へ』榊原紫峰著、中央美術社、1924年、5頁。と述べており、具体的な絵画技法に関する個所はほとんどない。そのため紫峰の芸術——絵画——論といった色合いが強い一冊である。

 しかし紫峰の場合、絵を描く行為を前提とした石本正よりも一歩踏み込み、芸術とはなにか?なぜ絵を描くのか?画家の役割とはなにか?という疑問から始まり、最終的には絵を描く必然性——紫峰の言葉を借りれば、その画家の内部生活からくる必然性——へと突き詰めていく。それらを踏まえたうえで芸術——絵画——を学び、制作を深めていく方法に言及している。そこには明治、大正と私塾による徒弟制度と、広く一般的な学校教育の両方を見てきた先人の紫峰の方がより芸術を学ぶ、教えるということを追求することが出来たものと思われる。現代はとかく「超絶技巧」、「写実の極致」、「美人画」など技法や形式が先行し、もてはやされる時代だが、そんな中で芸術とは何か?という素朴ではあるが、芸術というものが本来人間の魂の問題であることに立ち返るきっかけとなるような本書を、制作に携わる人だけでなく万人にお勧めしたい。


関連書籍

川崎正継著、淡交社、2013年
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1「生誕100年 回顧展 石本正」島根県立美術館、2021年4月2日~5月24日。以降は全国3か所を巡回。
2『石本正と楽しむ裸婦デッサン』石本正著、新潮社、2009年、35頁。
3「石本正という存在——戦後京都における日本画のゆくえ」田野葉月、『生誕100年 回顧展 石本正』朝日新聞社、2021年、218頁。
4『日本画の愉しみ 小品絵画の魅力』川崎正継著、淡交社、2013年、28頁。
5『紫峰芸術観』榊原紫峰著、河出書房、1940年、262頁。
6『花鳥画を描く人へ』榊原紫峰著、中央美術社、1924年、5頁。


執筆者:戸田淳也(日本画家)

アイキャッチ画像:奈良公園の鹿 by Bna Ignacio
画像出典:https://unsplash.com/photos/_Fg4mFiv3K4


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