『画室の窓——堂本印象随筆集』朝日新聞社 1954年

 2022年春、新型コロナウイルスによる行動制限も概ね解除され、私の住む京都にも旅行者の姿が増え始めた。今はまだ若者の姿が目立つが、いずれは国内外老若男女を問わず多くの人々が再び京都を訪れるのだろう。

 住まいのすぐ南側には「外国人に人気の日本の観光スポット」調査で6年連続1位を獲得した伏見稲荷大社があり、新型コロナウイルスが蔓延する以前は多くの参拝者が訪れ毎日が祭りのようだった。京都に越してきた初めの頃は伏見稲荷に参拝がてら稲荷山をよく歩いたが、しだいに人の多さを避け住まいの北側に位置する東福寺周りを散歩することが多くなった。とはいえ紅葉の名所として有名な東福寺も参拝者は多い。散歩圏内に観光地が2か所もあるのはいかにも京都らしい贅沢な悩みだが、日々の生活を送る上ではもう少し静かな場所が良いのかもしれないとコロナ流行以前はよく思った。ちなみに今でも夜間にはたびたび伏見稲荷へ散歩に行くが、一度イノシシと遭遇して肝を冷やした。

 東福寺へ行く際には、筆の寺として名高い正覚庵の前を通り南側の六波羅門から境内に入る。正覚庵に建てられている日本画家・西山翠嶂(1879- 1958)とその甥である日本画家・西山英雄(1911 -1989)の石碑には軽く一礼するのがいつからか習慣となっている。同じく日本画を描く者として、自らの制作が上手くいくことを過去の巨匠たちの石碑に願う。

 東福寺の境内に入ったら三門を右手に見ながら本堂を目指す。現在の本堂は1934年に再建されたものだが、昭和期の木造建築としては最大級のその大きさに圧倒される。その天井、横に約12間(1間は約1.82メートル)、縦約6間余りの大画面に1匹の龍が描かれている。

 描いたのは日本画家・堂本印象(1891-1975)。描くのに要した期間は1933年7月23日~8月8日。毎朝9時から夕方6時まで、食事の時間と僅かな休憩以外はたった1人でこの天井画を完成させたそうだ。制作時には天井板は全て外し本堂の床に並べられ、全体を俯瞰して見るために堂の隅に屋根裏まで通じる仮の階段が設置された。その階段を上がり屋根裏の梁を伝って真下にひろげられた画面の調子を日に何度も確認したそうだ。

 同じような大画面の絵画制作で思い浮かべるのは、2009年東京都現代美術館のエントランスに漫画家・井上雄彦が連載中のコミック『バガボンド』の主人公である宮本武蔵を高さ7メートル、横5メートルの大画面に描いたのが記憶に新しい。その制作記録映像を見るとまさに全身全霊で大画面と向き合うといった様子で、肉体的に非常な労働だと感じた。東福寺本堂の天井画は大きさから言ってもさらに大変な困難を要したであろうことは容易に想像できる。

 堂本印象は1891年(明治24年)京都生れ。本名三之助。1910年(明治43年)京都市立美術工芸学校を卒業後、しばらく西陣織の図案描きに従事し、1918年(大正7年)、日本画家を志して京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)に入学。翌1919年(大正8年)、初出品した「深草」が第1回帝展に入選した。第3回展では「調鞠図」で特選、また、第6回展の「華厳」では帝国美術院賞を受賞するなど一躍画壇の花形となった。

 京都市立絵画専門学校の教授として、また私塾東丘社の主宰者としても多くの後進を育成、1944年(昭和19年)、帝室技芸員となった。戦後は、独自の社会風俗画により日本画壇に刺激を与えた。1950年(昭和25年)、日本芸術院会員。さらに1955年(昭和30年)以降は抽象表現の世界に分け入り、その華麗な変遷は世界を驚かせた。多くの国際展にも招かれ、1961年(昭和36年)には文化勲章を受章した。1966年(昭和41年)、自作を展示する堂本美術館を自らのデザインにより開館。また、様々な技法を駆使しあらゆる画題をこなす画才は、各地の寺社仏閣の障壁画においても発揮され、多くの作品を残した。1975年(昭和50年)9月逝去、83歳(堂本印象美術館HPより抜粋)。

 立命館大学と世界遺産の金閣寺のすぐ近くに建てられている堂本印象美術館は、現在は京都府に寄贈され管理運営されているが、その外観、内装には堂本印象自らのデザインが多く残されており、堂本印象を知らない人が外観を見ただけでは日本画の美術館とは想像しづらいのではないかと思う。長い歴史を持つ京都日本画壇は多くの作家を輩出したが、意外にも現在の京都で日本画家の名を冠した美術館は少なく、私にとっては常時何かしら日本画の展示を見る事が出来る貴重な美術館である。

 堂本印象の画業を振り返ると、伝統的な線を主体とする日本画から、キュビスム、抽象、カリグラフィックまたは墨象(純粋に点・線・黒色・余白の美を追求しようとする新しい様式の書道)表現へと目まぐるしい画風の変化に目が行きがちだが、作品の内容として信仰・宗教というテーマを深く追求した点を見逃すわけにはいかない。先にふれた東福寺の天井画も広い意味ではその範疇の仕事といえよう。日本美術史研究者であり評論家の田中日佐夫は著書で堂本印象の『訶梨帝母』、『維摩』、『乳の願い』、『華厳』について、村上華岳(1888-1939)、入江波光(1887-1948)の作品と並ぶ近代日本画における数少ない宗教画の成功例とし高く評価している[1]『日本画 繚乱の季節』田中日佐夫著 美術公論社 1983年 251頁

 仏画に限らず、信仰の対象である宗教画は表現上どうしても約束事が多くなる。また過去の偉大な作品を模倣して描かれる場合も多く、結果として似たような作品が多くなりがちで創造的芸術作品を生み出すのが難しいという問題がある。しかし堂本印象に限らず、村上華岳、入江波光らは画家であると同時に古典美術の研究者でもあった。もちろん現代において彼らの知識の誤りを指摘するのは容易なことかもしれないが、彼らは古典の中から画家としての目で新たな美と価値を見つけだし、それを制作に反映させていった。加えてヨーロッパ美術とそれまでの日本画との折衷が、彼らの作品を宗教画でありながら新しさを併せ持つ創造的芸術の域にまで引き上げることを可能としたのではないだろうか。

 堂本印象著『随筆集 画室の窓』は先に触れた古典研究の洞察眼に加え、画家の目がとらえた昭和初期の京都の描写、そして戦後の目まぐるしい画風の変化を後押ししたであろうヨーロッパ旅行記などバリエーションに富んだ内容となっている。激しい画風の変化とは対照的に、冷静で丁寧な文字の連なりから堂本印象の人となりを想像して読むのも楽しい。これからも読み継がれていってほしい一冊である。


関連書籍

田中日佐夫[著]、美術公論社、1983年

1『日本画 繚乱の季節』田中日佐夫著 美術公論社 1983年 251頁


執筆者:戸田淳也(日本画家)

アイキャッチ画像:東福寺本堂(京都市東山区)
Photo by PlusMinusCC BY-SA 3.0