動物の苦痛と「権利」
現在に続く「動物の権利(Animal Rights)」運動の発端は、オーストラリアの哲学者のピーター・シンガー(1946-)が上梓した『動物の解放』(1975)という一冊の本である。シンガーは「動物の解放」というその表題について、女性解放などのほかの解放運動の「パロディのようにひびくかもしれない」とやや控えめに書きはじめつつ、当時一般的には知られることのなかった、米国における実験動物と畜産工場における家畜に対する扱いについて克明に描写した。そこで詳らかにされたのは、コストを優先させた結果、物同然の手荒い扱いを受け、狭い檻の中で身体的苦痛のうちに短い生涯を終える動物の実態であった。シンガーは著書の中で、18世紀イギリス哲学者ジェレミー・ベンサムの次のような言葉を引用する。
ここで問題なのは動物が理性を行使することができるかということでも、動物が話すことができるかということでもなく、動物は苦しむことができるかということなのである[1]ジェレミー・ベンサム『道徳および立法の諸原理序説 下』中山元訳、ちくま学芸文庫、2022年、302頁。。
『道徳および立法の諸原理序説』(1789)
シンガーはベンサムを引きつつ、「ある当事者が苦しむのであれば、その苦しみについて考慮するのを拒否することは、道徳的に正当化することはできない。当事者がどんな生き物であろうと、平等の原則は、その苦しみが他の生きものの同様な苦しみと同等に(中略)考慮を与えられることを要求するのである」と主張し、動物が苦痛を感じることは疑いないとしたうえで、人間以外の種の苦痛に配慮せず、人間に都合の良いように利用できるとする態度を、性差別(sexism)や人種差別(racism)と同様に、「種差別(speciesism)」として批判した。
18世紀のベンサムの時代のイギリスでは、キリスト教的宗教観に基づいた、動物を魂のない機械のようなものとみなす考えも根強く、繋いだ牛が死ぬまで犬をけしかける「牛いじめ」や闘犬などのブラッドスポーツが庶民に人気を博したという。しかし、時代が下るとダーウィンの『種の起源』(1859)が出版され、動物と人間の近接性の議論が盛り上がるようになり、さらに時代が下り20世紀後半にもなると、1960年代からの公民権運動や女性解放運動を経験した世代には、シンガーの呈した「種差別」への批判を受け入れる素地はできていたらしい。1970年代後半から本格的な動物解放団体が北米を中心に作られ、扇動的なキャンペーンでしばしば物議を醸すPETAも1980年に創設される。
シンガーの著作は、その功利主義的立場に対して批判もあるものの、明確で説得力のある論旨ゆえに、動物解放の運動にとってはバイブルのような存在であり続けている[2]動物の解放を目指すもう一人の代表的な論者としてトム・レーガンらの義務論の立場がある。動物倫理学については伊勢田哲治氏の著作『動物からの倫理学入門』(名古屋大学出版会、2008年)を参照。。シンガー自身は動物の「権利」という言葉を積極的に用いてはいないが、動物が生の主体としての配慮を受ける権利を指すものとして、「動物の権利」という言葉はこの種の運動を支える言葉としてよく用いられる。
「世界の劇場」展で展示中止になった作品のうち、豚や爬虫類より、人間の身近な愛玩動物である犬の方が多くの耳目を集めやすい。そうした戦略的な事情も推測できるにせよ、直接的に肉体疲労を与えられる犬の作品が筆頭に批判されることは、動物の苦痛を重視する基本的な動物への配慮の考え方にも合致している。
「苦しむことができるかどうか」は、配慮の対象となる種を区別する暗黙の基準ともなっており、哺乳動物や鳥、爬虫類などの「有感生物(sentient being)」[3]伊勢田、前掲書、40頁。に対して、植物はその能力を持たず、虫も積極的な配慮の対象とされる場合は少ない。黄の作品《世界の劇場》だけが、巡回先のグッゲンハイム・ビルバオで、「爬虫類の飼育は訓練を受けた専門家が行う[4]Henri Neuendorf, “The Guggenheim Bilbao Will Show Two Controversial Animal Works That Were Pulled From Its Chinese Art Survey in New York”, https://news.artnet.com/art-world/guggenheim-bilbao-animal-works-1275773(2021年10月1日)」ことを明示して実現されたのも、こうした事情が影響すると考えられる。
ベンサムのパノプティコン
黄の《世界の劇場》という作品の着想源の一つは、ベンサムの提唱したパノプティコン(一望監視施設)であることは前回触れたが、この作品と対立するPETAら抗議側の主張が、一方はフーコーを、一方はシンガーを媒介者として、同じジェレミー・ベンサムという哲学者まで遡るのは奇妙な一致のように思われる。
ベンサムは、奴隷制もまだ生きていた時代において、植民地の解放や女性の参政権を論じており、当時としては先進的な人権意識を持つ人物であったことが知られている。本来、「パノプティコン」は、ベンサムの主観的意図では、当時の刑事司法制度を劇的に改善する「人道的な」建築設計として、彼がその後半生をかけて熱心に推し進めたプロジェクトであった。
フーコーが『監獄の誕生』(1975)で書いたように、18世紀半ばまで罪人の処罰は身体刑が多く、死刑とされた受刑者は、火刑、車攻め、絞首刑など、罪の度合いに応じて課せられる激しい身体的な苦痛の帰結として死に至った。公衆の面前で行われるこうした残酷な身体刑は、表向きは威嚇や見せしめの効果を期待されたが、処刑の様子を見るために集まった民衆にとっては、日頃の鬱憤を晴らす非日常の見世物でもあった。身体刑は徐々に流刑や拘禁といったより緩やかな刑に置き換わっていったものの、多数の受刑者が収監された監獄の多くは非衛生で、受刑者に暴力が振るわれることも多くあった。こうした受刑者が置かれた環境を憂慮したベンサムが、受刑者の内面的更正を促し、少ない人数で管理できる効率性と、収監者だけでなく刑務官の不正をも見通せる透明性を兼ね備えた装置の役割を期待したのがパノプティコンという建築である。彼が割いた多大な経済的・時間的労力にもかかわらず、存命中にはついぞ実現しなかった建造物が、一世紀以上後になって、まだ見ぬ後期近代社会の「監視社会」を論ずる比喩的なモデルとして考察されることを、ベンサムは当然予期しえなかった。
フーコーは、規律・監視を内面化する制度としてのパノプティコンを近代社会の権力構造になぞらえ、「現代社会は見世物の社会ではなく監視の社会である[5]ミシェル・フーコー『監獄の誕生−監視と処罰』田村俶訳、新潮社、1977年、217頁。」と書いた。しかし、黄の《世界の劇場》が現前させたのは、近代的な監視社会よりもむしろ、前近代的な「見世物(スペクタクル)」の復活ではなかっただろうか。抗議者たちが主張したのは、こうした「スペクタクル」に対する拒否であったわけだが、この集団は、ベンサムに由来する、近代以降の動物の苦痛に対する配慮の思想を内面化した集団でもあった。黄の着想源としての「パノプティコン」は、捻れた形ではあるにせよ、結果として抗議者たちの振る舞いにより、むしろ「空になったケース」の方にこそ具現化されていたのかもしれない。
「現代アートと動物の展示——「劇場」の中の動物たち」
第1回 第2回
関連書籍
注
↑1 | ジェレミー・ベンサム『道徳および立法の諸原理序説 下』中山元訳、ちくま学芸文庫、2022年、302頁。 |
↑2 | 動物の解放を目指すもう一人の代表的な論者としてトム・レーガンらの義務論の立場がある。動物倫理学については伊勢田哲治氏の著作『動物からの倫理学入門』(名古屋大学出版会、2008年)を参照。 |
↑3 | 伊勢田、前掲書、40頁。 |
↑4 | Henri Neuendorf, “The Guggenheim Bilbao Will Show Two Controversial Animal Works That Were Pulled From Its Chinese Art Survey in New York”, https://news.artnet.com/art-world/guggenheim-bilbao-animal-works-1275773(2021年10月1日) |
↑5 | ミシェル・フーコー『監獄の誕生−監視と処罰』田村俶訳、新潮社、1977年、217頁。 |
アイキャッチ画像:カリフォルニア州会議事堂美術館(California State Capitol Museum)の前で抗議する動物の権利団体(Direct Action Everywhere)の人たち(photo by Jorge Maya)
画像出典:https://unsplash.com/photos/gpMQLbrqklM