■列聖のシステム
初期キリスト教時代においては、古代ローマの皇帝による弾圧に屈せずに信仰を貫いた人物が聖人として信仰を集めていたが、やがてキリスト教の国教化を経て、アウグスティヌスのように殉教せずとも信仰の確立と普及に貢献した聖職者らも聖人とみなされるようになっていった。「聖人」が無限に増殖するのを防ぐために、聖人を認める権限が教皇庁にあることを明言したのは13世紀の教皇グレゴリウス9世であった。ある死者が聖人と認められるためには、まずその死者に所縁のある司教区が教皇庁の列聖省に申請をし、それを受けて教皇庁側は審査に入る。その死者の生前の行いに徳や聖性がみられるものであれば、まず「福者」として認定される。さらに死後にその死者が起こしたとされる奇蹟などを精査し、それが「真」なるものと判じられれば、「聖人」として崇敬の対象に値するとみなされるのである。聖人として認められれば、祝日とその人物に特徴的な持物(アトリビュート)が定められるのである。
■トレンティーノの聖ニコラウスの生涯
今回は、ペストからの守護聖人としても信仰されたトレンティーノの聖ニコラウス(1245-1305年)という一修道士を取り上げ、ある奇蹟のエピソードを紹介したい。この修道士は、イタリア中部マルケ地方の街トレンティーノで活動したアウグスチノ隠修士会[1]ニコラウスが属していたアウグスチノ隠修士会は、もともとは13世紀半ばに設立されたもので、その後200年間に約2千の修道院と3万人前後のメンバーを抱えるほど急成長した団体である。ニコラウスはその礎を築いたひとりとされている。の一員であった。フードのついた黒い僧服に革のベルトを締め、ユリや書物を手にし、顔のある太陽を胸につけた壮年の修道士姿で表されることが一般的である。ニコラウスは幼くしてかの隠修士会の在俗献身者となった後に誓願を立て正式な会士となり、60歳で生涯をとじるまで説教師や聴聞司祭として旺盛に活動したという。死後は、人々の祈りに呼応するように火事や嵐、病からの守護聖人として様々な奇蹟を起こしたと伝えられ、ある時からはペストからも人々を守ってくれる存在として崇敬をされてきた[2]死後20年ほどで列聖審査が開始され、300人を超える住人がその奇蹟的な力や徳を証言したとされ、聖人として正式に認可されたのは1446年だった。。
■「コルドバの奇蹟」
1602年6月7日、一向に収まらないペストの鎮静化を願って、スペインのコルドバでアウグスチノ隠修士たちがニコラウス像を掲げながら街中を練り歩き、祝別されたパンを沿道の人びとに配り歩いた。最終目的地である施療院にたどりつくと、その入り口には教父が巨大な磔刑像を支え、待ちかまえていた。ニコラウス像の担ぎ手たちは聖像を高く掲げた後、軽く傾かせ、キリストの足へキスをする動作をとろうとしたその瞬間、キリスト像が十字架にはりつけにされていた腕を引きはがし、ニコラウス像を抱擁するそぶりを見せたという。この瞬間を目にした群衆たちはどよめき、その興奮は最高潮に達した。その後、ペストは瞬く間に終息し、瀕死の病人も配られたパンを口にすることによって回復した。人びとはこれを「コルドバの奇蹟」と呼び、街の行政官や聖堂参事会は毎年9月10日にアウグスチノ会の教会で感謝の念をささげることを定めた。この祝日には、奇蹟のエピソードのなかにも登場した「祝別されたパン」が配られている。
この奇蹟は絵画や版画としても制作され、その代表的な作品として、北イタリアのヴィチェンツァにあるサン・ニコラ・ダ・トレンティーノ祈祷所(図1)にフランチェスコ・マッフェイが1655年に手がけたものがあげられる(図2)。この聖人の名を冠した信心会のために制作された本作品では、ヴェネツィア派の大家パオロ・ヴェロネーゼの影響を受けたと思われる鮮やかな色彩と光で彩られ、まさにキリスト像とニコラウス像が賦活され、動き出した瞬間が描かれている。町中を行列なして練り歩いてきた人々は驚きの表情をたたえながら、ひざまずき、眼前の光景にくぎ付けになっている。一方で、画面右手に配された広場にはペスト患者を収容するテントが張られ、犠牲となった人々が息も絶え絶えに横たわっている。この劇的に対比された光景は、作品を観ている人々のうちに、奇蹟によってもたらされる「救済」すなわちペストの終息を想像させるのである。
この奇蹟が起きた翌年には、アウグスチノ会士であるクリストバル・デ・ブストの著作を皮切りに、このエピソードを記した冊子がスペイン、イタリアやネーデルラントで次々に出版されていた。先のパンの逸話はことのほか人々の関心を引いたようで、「コルドバの奇蹟」以降にもパンが起こしたという奇蹟がバリエーション豊かに伝えられている。「パンを水に浸して柔らかくして口にしたら病が快癒した」という基本のエピソードに加え、「腫れあがったペスト痕の上に包帯で巻き付けたら快癒した」「燃え盛る炎のなかに投げ入れたら鎮火した」「嵐で荒れ狂う波にむかって投げ入れたら、海が凪いだ」「痴情のもつれで、妻が夫に刺されたが偶然、盾がわりになって命拾いした」など、パンはありとあらゆる困難を切り開く万能のアイテムのように表されている。
現代へと目を向ければ、SNSやまとめサイトを通じて、何らかの食品やグッズがコロナウイルスに対して予防効果があるという情報が日々、流れては消えていっている。そうした情報を信憑性が低い「噂」だとわかりつつも、どこかしら記憶のなかに留めてしまう人もいるのではないだろうか。時に滑稽にも思えるような奇蹟への渇望は、コロナウイルスをねじ伏せる「奇蹟的」なアイテムをどこかに期待してしまう現代の私たちにも、通じるものがあるのである。
「中世イタリアにおける聖人信仰」連載一覧
第0回 第1回 第2回
関連書籍
注
執筆者:河田淳
京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程満期退学。
図1:サン・ニコラ・ダ・トレンティーノ祈祷所、ヴィチェンツァ、ⓒMarcok(CC-BY-SA)
画像出典: https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Oratorio_di_San_Nicola_da_Tolentino_Vicenza1.jpg
図2:フランチェスコ・マッフェイ《コルドバの奇蹟》1655年、カンバス、56×70センチ、サン・ニコラ・ダ・トレンティーノ祈祷所、ヴィチェンツァ、イタリア
アイキャッチ画像:図2の一部分