和邇浜

ヒルクライムで身体を歴史化する——山中越え、そして和邇の地へ

 今夏初の、山中越やまなかごえ。比叡山の山腹を東西に貫いて、京都と滋賀を結ぶ峠道を、京都側からロードバイクで6kmほど登坂する。30度を越える気温の中、平均斜度5%(100m進んで5m上がる)近くにもなる坂を、ひたすら駆け上がる。ヒルクライムでは、重力というものがいかに強大な力であるかを、いやというほど思い知らされることになる。自身の身体の重みがそのまま、大変な足かせになるのだ。最大斜度20%に達する難所では、心拍数は170を超え、滝のような汗が流れ、喘ぐような呼吸を余儀なくされる。苦痛から逃れたいがためだけに、ペダルをただただ踏む。峠の頂に達するまでに、そんな局面が数度やってくる。今年は春に登って以来で、体力を養って万全の調子で臨んだのだが、暑さに恐ろしいスピードで体力を奪われ、前回とは比較にならないくらいきつい。

 なぜ、こんな苦行めいたことを、一度ならず、わざわざ自らに課すのか。

 坂を登り切った際には、言いようがないほどの爽快感が得られる。難事業をやり遂げたという心理的な達成感。鬱蒼とした木々に囲まれた暗い山道を抜け、眼下に青々と横たわる広大な琵琶湖を捉えた瞬間に体得する、空間的な解放感。この二種の快感を同時に味わうと、疲れは一瞬で吹き飛ぶ。これだけでも、十分に強い動機なのだが、さらに先がある。

 もう一つの動機。それは、古来、山中越えが、多くの人々が往来した重要な峠であったことに由来する。滋賀へ至る道行の過程で、身体の疲労と同時に、私の中で進行しているもう一つの変化がある――壬申の乱で敗残した兵たち、宮中から御幸する天皇の一行、日吉社へ参詣する名もなき民たち、その他、この道を踏み馴らしていった無数の人々たちの山行さんこうさまを、思い描き、自らの身体をそこに重ねてみたいという、心の傾きが生じるのだ。無論、私は、徒歩かちではなく、自転車を駆っている。それゆえ、身体的条件には異同がある。それでも、自らの脚を頼りに、自らの体の重みをこれでもかと味わいながらあえぎあえぎ山道を踏み越えていくという一点では、変わりない。苦痛を起点に、かろうじて共感の回路を形作ることができる。

 彼らの一挙手一投足を、つぶさに思えば思うほど、ペダルを踏み込む力が増すような気がする。具体的な身体的感覚を通じた、時を越えての交感の連続。峠の頂へと降り立ったときには、私の身体は、すっかり歴史化され、時間の厚みをたっぷりと湛えた、奥行きのあるメディウムへと変貌する。その眼に映ずる世界もまた、非常化される。そこに織り込まれた時間の層の幾らかが、おぼろげながらも、感知できる程度に解像されてくる。この時、世界は思いもよらぬほどに多面的で豊かな意味に満ちたものであったことに気づかされる。この種の変性の経験こそ、私が望んでいる最たるものだ。麓へ戻って日常が再び身を浸しだすと、ほどなくこの昂りは鎮まってしまう。だから、感覚が鈍る前に、多くを目に焼き付けたいと思う。だから、この感覚から完全に覚めてしまったら、再びそれを取り戻すために、また登ろう、と思う。

 幸いにして、山中越えを下った先の湖西には、古い歴史を持つ土地が多々存在する。峠越えして間もない私の眼は、そうした土地々々のうち、際立って個性的なペルソナを持った場に敏感に反応するようになっている。最も心躍るのは、遺跡や歴史的遺構などの明らかな徴を有さずとも、ここには確実に特異な何かがある、と感じさせる場に出くわすことだ。そうした場に至るには、地図は手にせず、目の前に現れる辻々を、ただただ心が惹かれる方へと辿ってゆく、賭けの連続のような手順が必要になる。からだに判断を委ねると、空間が身体に及ぼす影響が可視化され、地図で見るよりも詳らかに地勢を捉えることができるようになる。地勢が導くままに赴くこと。これはまさしく、古の人々の身体感覚を追体験することに他ならない。古道は、必ずといっていいほど、ある地点からある地点へと移動する途上の、最も身体的負荷が軽くなる地勢を辿って形成されている。古くから人が集住する場は、必然的にそのルートに沿って存在することになる。

——山中越え、途中越え、二つの峠を越える、お気に入りのルート——

 この度、私が行き着いたのは、静かな浜辺だった。夕刻が迫り、沖から渡ってくる柔風なよかぜが、さざなみを水際に寄せている。浜は、岬のように突き出し、その突端はなだらかに湖中へ沈んで、浅瀬をなしていた。釣り人が幾人か、瀬に立って、釣果を競っている様が、薄い残照に映える湖水の上に、影絵となって浮かんでいた。

 あまりにも長閑なこの一光景からは、古拙な趣きがありありと感じられた。砂浜に腰を下ろして、しばらく涼んでいると、寄せては返す波の小気味よい反復のリズムに引っ張られて、時間の感覚がいよいよ攪乱されてくる。いまここ、が、遥か遠い過去の一瞬間をそのまま再演したものに過ぎないのではないかと思われてくる。少なくとも、同じような風景を、ここで、静かに眺めやっていた誰かは、きっと、ずっと昔から、幾人も、確実に存在した。そんな奇想めいた考えでも、全くのでたらめではないと思い込ませる力がこの場所には漲っている。ここを、和邇浜わにはまという。

 和邇、は、古代豪族の和邇氏に由来する。彼らが抱えた部民たちが置かれた荘が、古くはここにあった。朝廷に献上する魚を得る拠点となり、租税を免除されていた特別な場となったこともあったようだ。こうした史実を、この地を訪れた際の私はもちろん与り知らない。だから、私が浜で目にし、いくらかの興感を覚え、写真にも撮った一光景が、こうした歴史の象徴的イメージたり得ている偶然に、少なからぬ驚きを覚える。和邇浜は、歴史の古層が、現在を貫いて露出している場であるともいえる。

 浜には、一本の川が流れ込んでいた。帰りは、その流れを遡って、比良山系の麓へ出て、途中峠から大原へ回り、京都に戻るルートをとった。夜が更ける前に山を抜けなければ、と帰路を急いだ。この道もまた、古道だ。山裾に入ってしばらく、幾枚もの棚田のほど中にぽつんと浮かぶようにしてある小さな塚が目に入った。古木が、その塚を根元に抱いて守るようにそびえていた。近づいてみると、地表に露わになった木の根の隙を埋めるように、自然石が積まれていた。ここにもまた、確実に何かがある。地名は定かでない。

 ここに限らず、幾度となく、足を止めたくなる景色とめぐり合った。だが、時間的余裕がほとんどなく、後ろ髪を引かれる思いで山道を駆け抜けた。

 それから二週間近くが経過した。今の私は、すっかり鈍麻して、日常というレイヤーが覆い隠してしまっている、豊饒な世界の相にアクセスする力を持たない。夏が過ぎたら、再び山中越えを、そして、また別の古い峠道を越える。鍛錬が積み上がって、軽々と峠を越えられる玄人になってしまったら、上に記したような変容体験は恐らく得られないだろう。だから毎度の山行が十分な骨折りになるよう、ほどほどの不摂生をして、調整しようと思う。


執筆者:リノッタ・ベンタ(Rinotta Benta)