ラファエロ・ガンボージ《移民たち》1984

[翻訳]エドモンド・デ・アミーチス『洋上にて』第5回——リオン湾(2)

『洋上にて』連載一覧


 食事の時間を告げるベルが鳴ると、心が浮き立った。食堂に行けば、もうすこし明るい光景を目にすることができるだろう。

 だだっ広い部屋の中央に置かれた、途方もなく長いテーブルに、50人ほどの船客が並んでいた。部屋のあちこちに飾られている、金めっきされた家具やら鏡やらが、窓から射しこむ陽光を受けて輝きを放っている。窓の外では水平線が踊っている。席につくなり、会食者は数分のあいだ、無関心の仮面の下に詮索者の好奇心を隠しながら、たがいのことをそれとなく観察した。しばらくのあいだ、見知らぬ相手と親密な時間を過ごさざるをえなくなったとき、人はみなこうした好奇心に駆られるものだ。すこしばかり波が荒れていたので、食堂に姿を見せないご婦人も何人かいた。食堂に入ってすぐ、私はあの巨大な司祭の姿を認めた。まわりの人間の頭を見おろすようにして、テーブルのいちばん端の方に坐っている。生ハムの赤に縁取られた目の、小さく禿げあがった猛禽のような頭が、あきれるほど長い首のうえに乗っかっている。ナプキンを広げる司祭の手を、私はそっと盗み見た。すさまじく大きく、それでいて骨張った手で、何本かの指はタコの足のようにも見えた。詩情を欠いたドンキホーテといったところか。司祭と同じ列の、もうすこし私に近い席に、昨晩廊下で見かけたブロンドの女性が坐っていた。深い青を湛えた瞳と、つんと澄ました小鼻をしている、30歳前後の美しい婦人だった。はつらつとして、生気にあふれている。服装は優美なのだが、いくぶん派手すぎるようにも思えた。みなと知り合いであるかのように、すべての会食者をぐるりと見まわし、舞台の前面にいるバレリーナよろしく、うつろで柔らかな眼差しを投げかけている。どうしてかはわからないが、今朝がた目にした黒い絹の靴下は、彼女のものに違いないと私は思った。あの絹の正当な所有者は、彼女の隣にいる50がらみの紳士と見て間違いない。善良そうで、どこか憂いを帯びた顔つきの男性だった。学者のように髪はぼさぼさで、小さな目を半開きにしている。その瞳に浮かぶ笑みからは、狡猾さというよりも、狡猾であることを懸命にひけらかそうとする意志が読みとれた。おそらく、これが彼の平素の表情なのだろう。紳士の右側には、家族か親しい友人同士のような、ふたりの若い娘が坐っていた。ひとりは、海緑色の服を着ている。憔悴しきった真っ青な顔に、私はひどく心を打たれた。つやのあるたっぷりの黒髪が、まるで死体の頭髪のようだった。この娘は、大ぶりな黒い十字架を首にかけていた。ほかには、なんとも奇妙な夫婦もいた。たいへん若いカップルで、どちらも背丈が小さく、ルッカでよく見かけるスタッコ像が、ちょこんと二体並んでいるみたいだった。顔もあげずに食べることに専念し、言葉を交わすときもたがいの目を見ようとはせず、どこか挙動不審で、まるでほかの会食者に畏れを抱いているようでもあった。夫の方はせいぜい20歳、妻の方は17歳といったところだろう。賭けてもいいが、役所に婚姻届を出してから、まだ15日もたっていないはずだ。若い修道女と修道士が、自分たちは召命とは無縁なのだと手遅れになる前に気がついて、似たような時期に僧服を脱ぎ捨てる覚悟を決めたのかもしれない。夫のもう片側では、貫禄のある女性が威圧感を放っていた。中途半端に染められた髪、あごのあたりまでせり出した胸、風刺画家の筆になる、むっつりと機嫌の悪いお月さまのような顔。唇のうえには、刺激の強すぎる脱毛剤の跡がはっきりと刻まれている。彼女は食べることで頭がいっぱいのようだった。私たちの頭上にランプのようにぶらさがっている宙づりの食器棚から、いまは芥子、いまは胡椒、いまはマスタードといった具合に、次々と香辛料を取り出している。まるで壊れた胃を修繕し、ときおり漏らす咳でもって、しわがれた声を整えようとしているみたいだった。テーブルの突端には船長の姿がある。眉をひそめたヘラクレスの縮小版といったおもむきで、赤い髪が顔全体を激しく燃やしているようにも見える。つっけんどんな語り口の船長は、右側の船客とは純粋なジェノヴァ方言で、左側の紳士とは訛りを含んだスペイン語で会話していた。背の高いほっそりとした老人で、真っ白の髪を長く伸ばし、活力に満ちた深い色味の瞳をしている。あたかも、オーストリアの詩人ハマーリングの、晩年の肖像画を思わせる外貌だった。(続く)


『洋上にて』連載一覧
第0回(訳者緒言) 第1回 第2回 第3回 第4回

訳・栗原俊秀(翻訳家)


栗原俊秀による翻訳書

エリーザ・マチェッラーリ[著]、栗原俊秀[訳]、花伝社、2021年。——比類なき成功を収めた「女性芸術家」、その光と影―― 前衛の女王・草間彌生の「闘い」を鮮やかに描いたイタリア発のグラフィック・ノベル

アイキャッチ画像:ラファエロ・ガンボージ《移民たち》1894年