『絵がかきたうて』山口華楊著、日本経済新聞社、1984年

 1954年、第10回日展に出品された「黒豹」は山口華楊(1899~1984)の代表作として必ず挙がる作品である。1982年にパリのチェルヌスキ美術館で開催された個展の際にもポスターや図録の表紙として使用された。160×150.5cmの画面に平仮名の「い」を思わせる大胆な構図で2頭の黒豹が黄土色の空間に配置されている。極度に単純化された構図と色彩のこの作品が華楊の代表作であることに異論はないが、終生にわたり動物画を追求し続けた集大成としての1点ではなく、私は華楊が新たな挑戦として向き合ったなかの1点だと思っている。

 2022年10月8日から11月23日、京都市北区に位置にする堂本印象美術館で山口華楊展が開催された。京都国立近代美術館と笠岡竹喬美術館共同開催の山口華楊展がまだほんの数年前の事だと思っていたが、図録を確認したら10年も経っていることに気づき愕然とした。今でも当時、会場で華楊の作品群から受けた感動はありありと脳裏に浮かぶほど見ごたえのある良い展覧会であった。それだけに10年前に主要な作品はあらかた見たという驕りと、怠けた気持ちが頭を擡げて今回はなかなか美術館に足が向かなかった(この10年間に華楊の作品を見る機会が何度かあった事も理由ではある)。

 ただその間にこの散文のためと、展覧会の予習も兼ねて華楊の著書『絵がかきたうて』を何度か読み返した。日本画家が残した随筆の中でも、本著は非常に読みやすい文体で図版も豊富である。巻末に華楊の年譜と並行し、当時の主だった社会的出来事や、日本画の動向などが添えられており時代背景、同時代の作家達との交流を窺いながら華楊の生涯を振り返ることが出来る。是非とも未読の方にはお勧めしたい一冊である。

 もともとは1983年に日本経済新聞「私の履歴書」へ執筆されたものを、連載終了後に本著のために加筆、京都新聞などへの寄稿文が加えられた構成となっている。残念ながら刊行前に華楊は肝臓癌による心不全で亡くなっているが、入院中もベッドの上で図版の選択や、タイトルも自身で決定している。それだけに『絵がかきたうて』というタイトルは、病に臥せて絵筆を握れないなかでも再び絵を描くことへの情熱、執念がこめられているのだろうと巻末の静野夫人による“そえがき”から推察する。ただ私としては、「情熱」、「執念」、また冒頭に書いた「挑戦」という言葉のもつイメージは『絵がかきたうて』を読む以前には華楊とその作品に対して持っていたものではなかった。

 2000年代のはじめから日本画、とりわけ華楊も生涯作品発表の舞台としていた日展を見つづけている私としては、当然に華楊は過去の作家であった。図録等で華楊の作品を見る事は好きでも、その作品からはつねに保守的なものを感じていた。その理由としては華楊の作品における西洋絵画表現の取り込み方である。

 京都における近代日本画の礎を築いた竹内栖鳳(1864~1942)はそれまでの円山、四条、狩野派の技法の統合に加え、西洋画の写実性を備えることで京都日本画に進歩的革新性をもたらした。その作風は京都近代日本画壇に広く共有されることとなった。具体的には栖鳳の作品にはコロー(1796~1872)、ターナー(1775~1851)の影響が指摘されている。その後、栖鳳のもとで学び京都画壇を代表する作家へと育っていった土田麦僊(1887~1936)の作品はゴーギャン(1848~1903)に始まり、ルノアール(1841~1919)、セザンヌ(1839~1906)、マネ(1832~1883)ら近代画家のみならず、ベルナルディーノ・ルイーニ(1480/1482 ~1532)やベノッツォ・ゴッツォリ(1421頃~1497)ら古典絵画までも吸収したあとがある。また同時代の入江波光(1887~1948)に関しては初期ルネッサンスや象徴派などを自作の表現に取り込んでおり、当時の京都日本画家たちの西洋絵画への興味の対象が多岐にわたっていたことが知られている。華楊と同時代の堂本印象(1891~1975)、徳岡神泉(1896~1972)に至ってその対象はキュビスム、抽象、アンフォルメルなどを意識するようになっていく。

 しかし華楊の場合は1917年に京都市立絵画専門学校で洋画家の太田喜二郎から人体石膏デッサンの指導をきっかけに、それまでの毛筆による線で対象を把握する方法から、鉛筆による面で対象を把握する方法への転換はあるものの、それ以上の西洋絵画表現の影響を作品から読み取ることは難しい。

 それだけに『絵がかきたうて』のなかで華楊が学生たちに向かって「習ったことをただおとなしくやってはだめだ。冒険と非難されてもいいからやりたいことをやれ、型を破れ、とやかましく言い続けた。」というエピソードは始め意外なものに感じた。同時にこのエピソードに華楊自身が「(竹内)栖鳳先生の精力的な仕事ぶりをみせられ、あるいは自分にこの激しさが欠けることを無意識に知ってか、私は型を破れと言い続けたのかもしれない。」とあり、「型を破れ」とは華楊が自分自身を鼓舞する言葉であったことも窺える。

 ここで「型」が何を示しているかであるが、私ははじめ華楊が修業時代に身に付けた筆の運び方(運筆)に関することだと思っていた。師である西村五雲(1877~1938)が描いた手本をもとに竹や松、花など様々な対象をそれぞれ1週間程度の期間にわたり写すことによって得た対象の形としての「型」、そして「型」の習得による対象の概念的、類型的なものの見方を含めた「型」という言葉だと捉えていた。

 しかし今回『絵がかきたうて』を再読し、改めて華楊の作品を見て「型」というのは西洋絵画の主義、思想からその表現に加え、創作活動の継続から必然的に生じてくる作風、すなわち自ら作り出す「型」をも含んでいたのではないかと感じた。華楊の作品は西洋絵画作品に範をとったような作品がない上に、1点々々の作品をじっくり見ていくと驚くほど多様な表現を駆使していることが分かる。またそれらの表現が70年の画業のなかで固定化されることも少なかったようだ。つまり制作毎に描く対象を自らの目で捉えた美をもって、独自の造形で表現するという挑戦を繰り返していたのである。

 自らの創造した絵画表現の型をなぞらず、最後まで途絶える事のなかった精力的な作画への情熱、執念、そして挑戦が、時代を超えて華楊の作品を多くの人が愛する要因だと美術館に足を運んだ鑑賞者たちを見て感じた。


主要参考文献
『山口華楊展図録』 2012年 毎日新聞社主催 笠岡市竹喬美術館・京都国立近代美術館
『日本画の歴史 現代篇』 草薙奈津子著 2018年 中央公論社
『日本画とは何だったのか 近代日本画史論』古田亮著 2018年 KADOKAWA
『日本画 繚乱の季節』田中日佐夫著 1983年  美術公論社
『絵がかきたうて』山口華楊著 1984年 日本経済新聞
『視る 463号 京都国立近代美術館ニュース』2014年 京都国立近代美術館
『アサヒグラフ 別冊 美術特集 山口華楊』1977年 朝日新聞社


山口華楊[著]、日本経済新聞社、1984年
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田中日佐夫[著]、美術公論社、1983年
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執筆者:戸田淳也(日本画家)

アイキャッチ画像:image by Kirti Ranjan Nayak


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