船内を少しずつ進むと、移民たちは小さな机の前を通りかかる。机の向こうにはチーフ・パーサーが腰かけている。パーサーは移民たちを、「ランチ〔「食事仲間」の意。綴りはranciで、英語のlunchとは無関係〕」と呼ばれる六人のグループに振り分け、印刷された用紙にそれぞれの名前を書き入れる。「ランチ」のなかでいちばん年長の者が、その用紙を手渡される。食事の時間になれば、この年長者が「ランチ」のメンバーを連れて食堂に行く仕組みだ。六人に満たない家族の場合、誰か知り合いを加えるか、たまたまその一家の次に来た移民を加えたりする。登録作業のあいだ、子供の食事は二分の一、幼児は四分の一の量だと説明され、すべての移民の胸中に、自分は欺かれているのではないかという不安がむくむくともたげてくる。農夫というのは、目の前にいる登録係はもちろんのこと、ペンを握るすべての人間にたいして、抜きがたい不信を抱いているものなのだ。不平が渦巻き、嘆きや抗議の声が聞こえてくる。それから、家族は別々にされる。男たちと女子供が引き離され、それぞれの寝室に連れていかれる。狭くて急な階段を、女たちが苦労しておりてゆき、だだっ広くて天上の低い寝室を手探りで進んでいく。なんとも哀れを催す光景だった。寝室には無数のベッドが、蚕棚のように段々に並べられている。息を切らして、紛失した荷物について船員に尋ねている女が何人かいる。けれど船員の方は、女たちの言葉がなにひとつ理解できない。別の何人かは、手近な場所にぐったりと腰をおろして、途方に暮れたような表情を浮かべている。そのほかの多くは、あたりを適当に行ったり来たりして、不安そうな目つきで、見知らぬ旅の道連れを眺めている。誰もかも、自分と同じように不安そうで、あきれるほどの混雑と無秩序に困惑している。下の階におりた女たちは、さらに下の暗闇へ続く小階段を見つけたものの、それより下へおりることは禁じられた。開け放しにされた昇降口から、寝台に顔を押しつけ激しくむせび泣いている女が見えた。聞くところによれば、乗船の数時間前に娘が急死したらしい。病院に運んでもらうため、夫はその亡骸を、港の警察署に預けていかざるを得なかったという。ほとんどの女は、船室にとどまったままだった。一方の男たちは、荷物を置くとまたあがってきて、デッキの手すりに体重を乗せていた。好奇心というやつだ! ほとんどの移民にとって、大型の汽船に乗るのはこれがはじめての経験だった。船の上は彼らにとって、新世界と同じように、神秘と驚異に満ちた場所であるに違いなかった。あたりをきょろきょろと見まわしている男があちこちにいる。かと思えば、はじめて目にする無数の驚くべき事物のうち、たったひとつをじっくりと検分するために、その場に立ちどまる者もいる。ある者は、手近にある椅子やら旅行かばんやら、あるいは木箱に記された数字やら、なんの変哲もないものを注意深く見つめている。また別の者は、リンゴや丸パンにかじりつき、ひとくち食べるごとに、掌中の果実やパンをつくづくと眺めている。まるで、家畜小屋の戸口の前にでもいるかのような、くつろいだ態度だった。目を赤く腫らした女をちらほら見かける。にやにやと笑いを浮かべている若者がいたが、そのうちの何人かは、見せかけの陽気さであることが容易に知れた。大多数の乗客の表情からは、疲労か無気力か、そのどちらか一方の色しか読みとれなかった。雲に覆われた空が、鈍色に染まりはじめる。
突然、パスポートの審査所から恐ろしい叫びが聞こえ、乗客たちは何事かと駆けていった。後で知ったことだが、それはある農夫の声だった。彼は妻と、医師によりペラグラ〔ニコチン酸の欠乏症。二十世紀はじめまでイタリアに広く見られた〕と診断された四人の子供といっしょに、船に乗ろうとしているところだった。審査所の係員がいくつか質問しただけで、この父親は気が触れていることが明らかとなった。農夫は乗船を拒否され、そうして狂乱の雄叫びをあげたのだった。
波止場にはたいへんな人だかりができていた。もっとも、移民の親戚はごくわずかだ。たいていは、たんなる物見高い野次馬で、残りは船員の友人や親戚といった、この手の離別には慣れっこになっている人びとだった。
すべての乗客が乗りこむと、汽船は静寂に包まれた。蒸気機関が立てる、くぐもった音しか聞こえてこない。ほとんど全員が甲板にあがってきて、肩を寄せ合って静かにしている。出航前の最後の待ち時間は、永遠にも感じられた。(続く)
『洋上にて』連載一覧
第0回(訳者緒言) 第1回 第2回 第3回 第4回
栗原俊秀による翻訳書
アイキャッチ画像:ラファエロ・ガンボージ《移民たち》1894年
画像出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Raffaello_Gambogi_-_The_Immigrants_(1894).jpg