S.T.の夢想日記[第9日]——責任を生み出す

 「質量保存の法則」という一般的な話がある。物質が化学変化を起こしても、その総量は全体として変化しないということらしい。では、質量とは異なる重さ「責任」に関してもこうした性質は認められるだろうか。責任の総量は変化するのか、しないのか。

 こんな例を考えてみよう。乗っているバスがジャックされた。おとなしくしていた乗客たちも、トイレに行きたくなる。そこでバスジャック犯は「逃げたら他の乗客を殺す」と言って、乗客を一人ずつ順番にトイレへと行かせることにした。誰かが戻らなかったら残り全員殺される。逃げた者のせいで死ぬ。一人の乗客が逃げた。それ以外の乗客は皆殺しにされた。犯人は殺人の責任を逃亡者に転嫁し、少なくともその一部を分割しようとする[1]田村由美『ミステリと言う勿れ 第1巻』小学館、2018年。

 さてこのとき、犯人は逃亡者に「責任転嫁」できていると言えるだろうか。たしかに「逃げたら他の乗客を殺す」という主張には、殺人の条件として逃亡するという乗客自身の行動が組み込まれている。つまり、その逃亡者の行動が殺人という結果を直接的に誘発させたという可能性がある。そのため、乗客の殺害という状況が成立してしまったら逃亡者にもその殺人という結果に対して責任の一端が認められる、と考えられるかもしれない。

 しかし一方で、そうではないと考えることもできるだろう。「逃げたら他の乗客を殺す」という命題は、論理的に考えて「逃げなかったら他の乗客を殺さない」ということを意味しない。例えば犯人の機嫌が悪くなる、あるいは、はじめから犯人が殺害計画を立てているなどの場合には、たとえ乗客が逃げなくとも殺人は行われる。しかもそれに加え、そもそも犯人が自分の命題と矛盾する行動をとらないなどという前提もない。こうした状況下で殺人という結果が生じたとしても、その結果が発生する条件に逃亡者自身の行為が含まれていたということを論理的に確定させるのは不可能だろう(殺人という不可逆的な事例では、何度も実験してどれが原因だったかを検証するというわけにもいかない)。このように考えるならば、たとえ乗客が逃げ出した後に犯人がたまたま殺人を行ったとしても、その殺人の責任が逃亡者に転嫁されるわけではないだろう。

 ただ残念ながら仮にそのように考えたとしても、逃げ出した乗客は殺人の責任を転嫁されないというだけで、逃亡者には何の責任もない、ということにもならない。というのは、逃亡者自身はそれでも逃げたことへの責任を感じるだろうし、周囲からもどうしたわけか非難の目を向けられるだろうからである。この点で事実的に、逃亡者は何らかの責任を背負わされてしまっていることは否めない。

 ともあれ問題は、この責任がどこから来たのかということである。上で見たところによれば、逃亡者は殺人の責任を「転嫁」されたわけではない。即ち、殺人の責任は犯人が負うものであって、逃亡者が分担できるものではない。そのため逃亡者が負っているのは殺人の責任ではない。そうではなく、逃亡者は逃げたことそれ自体に責任を感じている。この責任は殺人という結果とは関係がない。というのも逃走したということへの責任は、たとえ逃亡後にも犯人が殺人を犯さなかったとしても感じられるものだからである。この点で逃亡者の責任とは、「逃げたら他の乗客を殺す」の後件が満たされたか否かは問題にならない仕方で、前件を満たすことそれ自体について感じられているものと考えるべきなのかもしれない。だからこそ逃亡の責任は殺人という事象と無関係であり、なおかつ殺人犯の責任が転嫁されえないと言えるのだろう。

 だとすれば、犯人の「逃げたら他の乗客を殺す」という言葉は、乗客に責任転嫁する言葉ではなく、ありもしなかった新たな責任を乗客に負わせる呪いであると言うべきだろう。犯人は殺人の責任を、逃亡者は逃亡の責任をそれぞれ別個に抱え始める。以上のことから、責任は転嫁されたり分担させられたりするのではなく、新たに作り出されていると言えるのかもしれない。

 人間や国というやつは増えることのない土地や資源を抱え込み、増え続ける責任を背負い込む運命にある、というなんともご苦労な話。


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関連書籍

田村由美[著]、フラワーコミックスα、小学館、2018年

1田村由美『ミステリと言う勿れ 第1巻』小学館、2018年。


執筆者:S.T.

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