ラファエロ《正義の擬人像》ヴァチカン宮殿署名の間天井画

事実と虚構[第1回]——人類と虚構の問題

序にかえて

 ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』という本をご存知だろうか。この本はイスラエルの歴史学者であるハラリが2011年にヘブライ語で著したもので、2014年の英語版以降すでに60以上の言語に翻訳されている。日本でも2016年に邦訳がなされて以来、多くの読者を獲得してきた[1]『サピエンス全史』の英語版と日本語版の書誌情報を以下に示す。Yuval Noah Harari, Sapiens: A Brief History of Humankind, Vintage publishing, 2014. ユヴァル・ノア・ハラリ(柴田裕之訳)『サピエンス全史:文明の構造と人類の幸福』(上下巻)、河出書房新社、2016年

 この本は、ホモ・サピエンスの繁栄の理由を、「虚構(fiction)」を形作る能力に見ている[2]ハラリの議論については、『サピエンス全史』上巻、第二章を参照。。その場に存在していないものについて語り、その情報を共有する能力は、ホモ・サピエンスが進化の途上で獲得したものだった。そして、この「その場に存在していない(が、世界のどこかに実在している)もの」が、「その場に存在せず、この世界のどこにも実在しないはずだが、存在すると信じられているもの」に変化するとき、その語りは「神話」や「宗教」に変じる。

 たとえば、狩りに出かけた家族や逃げた獲物が会話に現れるような段階から、この世の創造主や生物の魂といった存在が語られる段階への移行により、ホモ・サピエンスは、従来とはまったく異なるタイプの存在者について語ることができるようになった。こうした虚構こそが、ホモ・サピエンスの発展と繁栄の礎となった――これがハラリの主張の一つの核である。なぜなら、虚構は、信じることのできる共通の神話をつうじて、一定数以上の数の人びとと協力することを可能にするとともに、それによって他の人類や動物との生存競争に打ち勝つことを可能としたからである。現に存在していない事実について語り、それを共有、活用する能力こそが、ホモ・サピエンスと他の――他のヒト属の動物を含めた――動物とを区別するものなのである。

 人類はこの種の神話を数限りなく編み出してきた。これは宗教に限った話ではない。貨幣、株式会社、国、社会、人権、そして自由といったものはみな、一定の人びとに共有された虚構にその存在の根拠をもっている。貝殻のような貨幣はモノとして存在するが、その貨幣としての価値はそのモノ自体の価値によって規定されるわけではない。貝殻は、「あとで欲しいもの、たとえば食べ物や服と交換してもらえる」という信頼に支えられた価値認識をつうじて、はじめて「貨幣」となる。しかしこの認識が貨幣を用いる人の間で共有されていなければ、貝殻が貨幣として機能することはない。そしてこの貨幣は、人びとの交易、分業を飛躍的に活発化させ、それにより人類の発展に大きく寄与してきた。

 翻って現代に目を向けてみよう。この21世紀にあって、われわれは、「虚構」に依存しているという事実について馴染み始めている。「真実や真理といったものはこの世界に客観的に存在するものではなく、ただわれわれの精神が作り上げた虚構にすぎない」。こういう主張をわれわれはしばしば目にする。ただし、この種の言説が正しいか否かは措くとしても、これが人類にとって危険な薬になりうることは、これによって人びとの分断が生じているという事実によって明らかである。

 『サピエンス全史』の翻訳が出版された2016年には、イギリスのEU離脱(ブレグジット)を問う国民投票や、トランプ大統領を誕生させたアメリカ大統領選などがあった。それ以降、われわれの時代は「ポスト・トゥルース」[3]「ポスト・トゥルース」という態度がどこから生じ、いかにアメリカの現実世界、とりわけ政治的世界に適用されてきたかについては、ミチコ・カクタニ(岡崎玲子訳)『真実の終わり』、集英社、2019年に詳しい。の時代となったと言われる。事実や真実に依拠する慎重な判断は退けられ、かわりに人々の感情に訴えることが目指される。そのためにはデマ(虚偽)の流布も厭わない。なぜなら、そもそも「事実」や「真実」といったものは存在しないか、あるいはそれらは万人を納得させる客観的な概念となりえないからである。

 2021年の日本においても、この事情は一歩も改善されていないと言ってよいだろう。とりわけインターネット上では、自らの主張を押し通すため、さらには意見の異なる他者を傷つけるため、日々さかんに虚偽が生み出されている。虚構に傾くことがわれわれを容易く虚偽に至らしめることは、否み難い事実であると思われる。

 しかしながら、「ポスト・トゥルース」という言葉が人口に膾炙するのと時を同じくして、「ファクトチェック」が重視されるようになった。「事実」に対置される虚偽は炙り出され、それを提示した人は非難される。事実は虚構よりも重んじられるべき対象であり、それにもとづいてわれわれは判断を下すべきである。ファクトチェックの精神は、われわれにこのように命じる。それでも、それらを区別することは容易ではない。

 一例を挙げよう。さかのぼること数ヶ月前、政党の一つの大阪維新の会が「ファクトチェッカー」を設立した。2021年3月26日現在、Twitter上では、三つの言説がその「ファクトチェッカー」によってチェックされている。しかし、このことに対する批判も数多い。その理由は、このファクトチェッカーが「事実」を適切に提示しそこねていることにとどまらない。そもそもそのファクトチェックが著しく偏った立場からなされていることが批判の大きな理由となった[4]ファクトチェックにはすでに国際的なネットワーク(IFCN: International Fact-Check Network)が存在し、それによってファクトチェックの五つのルールが定められている(https://www.poynter.org/ifcn-fact-checkers-code-of-principles/ 2021年3月26日閲覧)。その第一のルールは、「無党派性(nonpartisanship)と公正性」であり、「ファクトチェックする問題に関して、ある政治的立場を主張、採用することはしない」という文言を含む。ある政党が「公式に」運営するファクトチェックは、その点で、重大なルール違反を犯している。 。

 こうした批判は、事実を事実として提示することの難しさを表している。そもそもある一つの事実を示すことは、その事実以外の無数のことがら、文脈に依拠して行われる。一つの石を拾い上げるように、一つの事実を単独で拾い上げることはできない。そしてそこに虚構が入り込むとなると、もはや事実は事実ではなくなってしまう――実際、ポストモダンの思想は、このことを強く主張してきたのであった。また、そこに利害や信条が関わるのであれば、われわれは何とかして事実がわれわれに有利になるように提示してしまう。党派性に囚われないように絶えず気を配るとしても、われわれの種々の心理バイアスは、われわれの無意識下で機能し、事実を加工、歪曲した形でわれわれに差し出してしまう。こうした事情、およびファクトチェックにちなむ紛糾に鑑みるに、「事実―虚構」という対比関係そのものが、一種の「虚構」とすら思えてくる。

 また実際、われわれは「国家や権利が存在するのは事実である」という言葉に容易に賛同できるように思われる。実際のところ、虚構物であるにもかかわらず、国家や権利の「存在」は、ほとんどすべての人に受け入れられているし、また種々の法典のなかで成文化されている。物体として存在しているわけではないが、確かにそれはこの世界に事実として――ハラリの言葉を借りれば共同主観的に――存在している。虚構と事実は必ずしも相反する概念というわけではなく、「あることがらは虚構によるものであると同時に事実である」ということがありうる――このように考える人は少なくないだろう。

 つまり、上の対比はなんら矛盾を含むものではなく、何ら問題ではないように映る。それゆえ、事実と虚構を対置することは、別の問題の源となりかねない。とはいえ、事実と虚構が結びつきうるということは、やはりその各々の概念の有り様を揺らがせかねないし、畢竟、上述した社会的問題の深刻さを増幅させてしまいかねない。

 以上のように、虚構という概念は、人類にとってきわめて重要であると同時に、現代社会が抱える問題の源の一つとなっている。そうした問題を一挙に片付けることは不可能に近い。ここでは、あらためて「虚構」、そして「事実」という概念を振り返ることによって、ポスト・トゥルースと呼ばれる時代のあり方を眺める一つの視座を得たいと思っている。「事実はいかにして事実なのか?」、「虚構(fiction)とはそもそも何か?」「虚構はいかにして悪となるか」、といった従来の哲学的問題が、その際に大きな手助けとなるだろう。


関連書籍

ユヴァル・ノア・ハラリ著、柴田裕之訳、河出書房新社、2016年
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ミチコ・カクタニ著、岡崎玲子訳、集英社、2019年
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1『サピエンス全史』の英語版と日本語版の書誌情報を以下に示す。Yuval Noah Harari, Sapiens: A Brief History of Humankind, Vintage publishing, 2014. ユヴァル・ノア・ハラリ(柴田裕之訳)『サピエンス全史:文明の構造と人類の幸福』(上下巻)、河出書房新社、2016年
2ハラリの議論については、『サピエンス全史』上巻、第二章を参照。
3「ポスト・トゥルース」という態度がどこから生じ、いかにアメリカの現実世界、とりわけ政治的世界に適用されてきたかについては、ミチコ・カクタニ(岡崎玲子訳)『真実の終わり』、集英社、2019年に詳しい。
4ファクトチェックにはすでに国際的なネットワーク(IFCN: International Fact-Check Network)が存在し、それによってファクトチェックの五つのルールが定められている(https://www.poynter.org/ifcn-fact-checkers-code-of-principles/ 2021年3月26日閲覧)。その第一のルールは、「無党派性(nonpartisanship)と公正性」であり、「ファクトチェックする問題に関して、ある政治的立場を主張、採用することはしない」という文言を含む。ある政党が「公式に」運営するファクトチェックは、その点で、重大なルール違反を犯している。


執筆者:豊川祥隆(大学非常勤講師)

アイキャッチ画像:ラファエロ・サンツィオ《正義の擬人像》(ヴァチカン宮殿署名の間天井画)1508年
画像出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Raffael_053.jpg


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